2020/03/16今週の一言

ロシアとウクライナの戦争が続いています。

自分自身の「戦争体験」を思い出します。2001年10月8日に始まった米国のアフガニスタンに対する侵略戦争である「アフガン戦争」です。その時わたしは米国のジョージア州に留学目的で暮らしていました。

いわゆる「9.11同時多発テロ事件」の後、ほとんどすべてのテレビ局は、世界貿易センタービル倒壊後の救助作業を24時間放映していました。巻き込まれた消防士たちの悲惨や、助かった人の逸話などなども間に挿入されて報道されていました。顕在化された嘆きと潜在化された怨恨が基調の番組づくりでした。

10月8日以降はがらりと変わりました。突然に今まで知らなかった国であるアフガニスタンの地図がテレビ画面に大写しになり、米軍の空爆地点や進撃・占領した都市の名前が紹介されるようになりました。そして巷で国旗が飛ぶように売れ、教会にも国旗が講壇に置かれるようになったのです。国家による軍事報復が正当化され、誰もそこに疑念を抱かないように仕向けられました。

ウクライナの人々の悲惨な映像が流される度に、嫌な既視感に襲われます。共感という善意を悪用する人がいないかどうかが気になるのです。ウクライナからの難民受け入れそのものは悪い政策ではありません。しかし、それならば日本は年間に数名しか難民を受け入れない政策そのものも見直すべきでしょう。白人ならば優先的に受け入れるのでしょうか。ロシアの侵略戦争を批判することも正しい行為です。しかし、それならば大日本帝国がかつてなした侵略戦争(教会の戦争協力も)をきちんと反省しなくては整合性がとれません。プーチンという個人の責任だけでこの戦争は説明できるのでしょうか。そこに短絡がないかが気になります。

「一体ロシア・ウクライナ戦争によって誰が利益を得るのか」という透き通った批判精神が必要だと思います。JK