2020/05/20今週の一言

コロナ禍のもと、国家というものについて考えてみます。

国家は「自治の一単位」です。主権国家という言い方でも構いません。ウイルスが国境を易々と超えて広がるなか、「国家という単位が小さすぎるのではないか」という問いがあります。東北アジア地域、環太平洋地域、さらには地球全体などの単位でものを考える必要があります。現在の国際連合が機能しているのかということも問いも惹起されます。

あるいは、主権を持つとされる国家の大小の不揃いも同時に問題となります。どのような人口・領土、さらに、その二つの割り算である人口密度が適正なのでしょうか。単に疫病対策というだけではなく、すべての意思決定の過程にかかわります。その際に、地域ごとの歴史的経緯(戦争や国境の変遷)も視野に入れるべきでしょう。

「国家の権限が小さすぎるのではないか」という問いもあります。「都市封鎖を含む、もっと厳しい規制を国家がすべきだ。外出禁止に罰則も付けるべきだ。公権力が監視すべきだ」という意見は、国家主義に基づく権限拡大の論です。粗雑な意思決定で国家主義が膨張し、主権者個人の人権が抑圧されることについて注意が必要です。 

議論が入り組んでいくのは、立憲主義に基づく国家権限拡大論もあるからです。「国家の役割を構成員の福祉のためと定め、国家を使って主権者の健康で文化的な生活を守らせる。主権者の監視のもと、より大きな福祉の権限を国家に授けるべきだ」という理屈です。具体的には保健所や病院、病気の研究機関を増やすという政策になります。何のための自治か、税金の使い道をどうすべきかが問われています。

今までの議論とは逆に、「国家という単位が大きすぎるのではないか」という問いもあります。ウイルスの感染状況をより綿密に把握し即座に対応するためには、地方自治体に権限を委ねたほうが効果的でもあるからです。実際、現行法制においては、国家は緊急事態宣言の対象地域を指定することまでしかできません。都道府県知事に「要請」や「指示」を出す権限があるのです。

都道府県というくくりでもまだ大きいという意見もありえます。基礎自治体(市区町村)に権限を付与したほうが小回りが効くからです。たとえば世田谷区は東京の中で感染者数が多い順で1位ですが、人口に比しての感染者数で言えば10位です。人口が多く、広い世田谷区の中でどの地域に感染者が多いか、その地域の特性は何かは都よりも区の方が把握しています。しかし把握しすぎることへのブレーキも必要です。感染症対策の場合プライバシー権との兼ね合いで基礎自治体の権限範囲が問題にもなります。ふさわしい自治の単位とは・・・。難問です。JK