2020/08/5今週の一言

8月5日 日韓早稲田朝祷会奨励 ネヘミヤ記8章1-12節

日本の敗戦から75年、朝鮮半島の解放から75年という節目にあって、お招きにあずかり、この場で共に御言葉を読み祈ることができることに心から感謝をいたします。

ペルシャ帝国がユダヤの民をバビロン捕囚から解放したのは前539年のことです。律法学者であり、「最後の預言者」と理解されているエズラが「モーセ五書(神の律法の書)」をエルサレム神殿に運び入れたのは前453年と言われます。実に85年の歳月がかかっています。自治を求めるユダヤの民に必要なものは何だったのでしょうか。

第一に脱出した人々がいるということです(前539年)。第二に建物です。第二神殿が建立されています(前515年)。第三に本になった神の言葉です(前453年)。正典と呼びます。ユダヤの民が自分の足で立つためには、①自治を行う主権者たち、②自治の場、③自治の規範である法律の三つが必要でした。現代的に見るとあまりにも政治と宗教が一体化していますが、古代社会においては宗教的律法がこの世の法律と重なるのは当たり前です。エズラは創世記1章から読み始めましたが、民全体は一週間かけて申命記までを、つまり「憲法」「民法」「刑法」「行政法」をも含めて通読したのでした。

この正典を用いた礼拝は、信仰共同体である地方自治体ユダヤの再建でした。

85年の月日は、人々からヘブライ語を忘れさせました。バビロンに連れて行かれた民の方が、古いヘブライ語を保存していました。ペルシャ帝国の公用語の一つがアラム語だったので、ユダヤの民もアラム語を読み書きしていました。そのため、エズラは13人の通訳者・解釈者を配置しました。その人々が、会衆に聖句を説明したというのです。ヘブライ語正典をアラム語にinterpretするという実践。ここからアラム語敷衍訳(タルグム)が生まれたと言われます。現代で言えば説教です。

それは男女混ざり、大人も子どもも混ざっている会衆一人ひとりが理解するためと言われます。理解は洞察という意味の深い納得です。最初の御言葉による礼拝は配慮に満ちた二言語・多言語のものでした。わたしたちの礼拝はどうでしょうか。

またわたしたちの自治のレベルはどうでしょうか。1947年5月2日に突然日本国籍を奪い、参政権も奪ったまま、旧植民地の人々の権利が捨て置かれています。当然同じ権利を持つべきでしょう。また他の外国人の方、日本語で苦労している人々にも、配慮をしつつ自治の権利を与えるべきと考えます。日本と朝鮮半島の交流がどんどん盛んになって、共に同じ礼拝ができ、共に同じ法(ルールや自治)ができればと願っています。JK