2020/09/30今週の一言

初代教会を創設した人々はどのような聖書を持っていたのでしょうか。

簡単に言えることは、彼ら彼女たちは「旧約聖書」しか持っていなかったということです。新約聖書の最古の文書は紀元後50年前後に書かれたパウロの手紙です。ペンテコステの出来事は紀元後30年か31年。約20年の間、新約聖書なしに教会は礼拝をしていました。「旧約聖書」しかなかったのです。

しかし、ここで言う「旧約聖書」がどこまでの範囲であったのかは不分明です。というのも「神の言葉(正典)」としての「旧約聖書」の範囲を確定させるユダヤ教正統というものが紀元後30年ごろには存在しなかったからです。現在の39巻に定められたのは紀元後90年ごろのことです。サドカイ派が正典として認め用いていた聖書は五書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)だけでしょう。これが「最も狭い旧約聖書」です。逆にその他の派は、現在の旧約聖書の範囲を超えて外典・偽典まで部分的に含む正典を持っていたかもしれません。「より広い旧約聖書」の幅については際限がありません。

サドカイ派を批判するイエスの弟子たちは「預言者たち(ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記、イザヤ・エレミヤ・エゼキエル、十二小預言書)」の部分を確実に共有しています。ナザレの会堂でイエスはイザヤ書61章を解釈していますし、十字架・復活のイエスを贖い主と信じる信仰はイザヤ書53章に根ざしているからです。そしてペトロは十二小預言書のうちのヨエル書を用いて最初の説教をしています。

さらにペトロは詩編をも用います。「五書」「預言者たち」に加えて詩編だけが正典扱いだったのか、それ以外の書がどこまで許容されていたのかは不明です。この点は、ギリシャ語訳聖書を用いていたかどうかにも若干関わります。ギリシャ語訳聖書は外典を含む「より広い旧約聖書」として現在に至るまでキリスト教会で用いられているからです(「続編」部分)。ただし、当時のヘブライ語聖書に外典部分が入っているものもありました。死海写本の発掘の一部はそれを立証しました。

使徒言行録2章に引用されているヨエル書3章は、ヘブライ語ではなくギリシャ語訳聖書を引用しています。このことは、①ペンテコステの日にペトロが用いた聖書がギリシャ語訳だったのか、それとも、②ペトロはヘブライ語聖書を用いたけれどもルカが持っていた聖書がギリシャ語訳だったのかを考えさせる要素になります。定説は②です。しかしもしペトロがギリシャ語を読み書きできる人だったらどうでしょう。一概に①も否定できません。宿屋で彼ら彼女たちが必死に読み解いた聖書は何語で書かれていたのでしょうか。JK