2020/11/04今週の一言

10月から毎週木曜日の夜、東京バプテスト神学校で「今、イザヤ書を読む」という全15回の講義を担当しています。別にイザヤ書の専門家でもないので恥ずかしい限りですが、イザヤ書の使信と現代の課題を結び付ける話をしています。イザヤ書は66章もある最大の預言書、編纂の歴史も複雑です。その割には、新約聖書で引用されている聖句以外のイザヤ書部分に、キリスト者はほとんど関心を払っていません。キリスト者が好むのは「メシア預言」(7・9・11章)、「荒野で呼ばわる声」(40章)、「苦難の僕」(53章)などでしょう。それら引用聖句の他であれば、「剣を打ち直して鋤に」(2章)、「聖なるかな三唱」(6章)などが有名な聖句です。

キリスト者にありがちな心理的陥穽は、旧約聖書と新約聖書の関係を「預言と実現の関係」とのみ捉えてしまうことにあります。メシア預言はその最たるものです。旧約聖書で予告された出来事が新約聖書で実現したという読み方。キリスト者にとってお馴染みであり、ある意味基本の解釈原理です。しかしすべての旧約聖書の聖句がその図式に当てはまるわけではありません。また、この読み方は読者に先入観を与えるので、透明な目で旧約聖書を読むことを妨げてしまうことがあります。マタイ福音書1章23節の方からしかイザヤ書7章14節を読めなくなっているとすれば、元来の使信の意義が減じられるかもしれません。インマヌエルと言えばイエス・キリスト。少なくともキリスト教発生以前の600年間ほどは、そのような解釈は存在しませんでした。

紀元前8世紀に生きていた預言者イザヤが南ユダ王国のアハズ王に発した裁きの言葉の一つが「インマヌエル預言」です(イザヤ7章14節)。北イスラエル王国とアラム王国が連合して南ユダ王国を侵略してきたときのことです。「若い女性が男の子を生む。彼女が彼をインマヌエルと名づける。彼が物心つく前にアハズ王が恐れる二つの国がアッシリア帝国によって滅ぼされる」。これが元来のインマヌエル預言の内容です。

インマヌエルという人名の意味は、「神が我らと共に」ないしは「我らと共なる神」です。7章14節の時点では、人名の意味は重要ではありません。8章8・10節で、この人名の意味が重要となります。イザヤは「神が我らと共にいると王が主張しても、アッシリア帝国によって南ユダ王国が蹂躙される」という警告を発しているからです。つまり、「インマヌエル」という言葉は、南ユダ王国のアハズ王が軍事同盟に頼って神に頼らないことを批判する手段なのです。JK