2021/02/24今週の一言

天皇徳仁の誕生日が2月23日であるために昨年から「国民の休日」となり、前天皇明仁の誕生日である12月23日が平日となりました。おや、と思います。前々天皇裕仁の誕生日である4月29日は、「昭和の日」として依然「国民の休日」のままだからです。では、前々々天皇嘉仁の誕生日8月31日はどうかと言えば、現在「国民の休日」ではありません。その一方で前々々々天皇睦仁の誕生日11月3日は「文化の日」として「国民の休日」であり続けています。江戸時代の孝明天皇以前については中央集権国家における「国民」という概念がないので「国民の休日」というものがありません。問題は明治維新(1868年)以降の天皇誕生日と「国民の休日」の関係です。

非常に恣意的な運用であることが問題です。一貫性のある分かりやすいルールではないことは明らかです。ある天皇は在位期間の長さから、休日になったりならなかったりの判断がなされているように見えます(睦仁、嘉仁、裕仁)。長さというのは主観でしかありません。ある天皇は在位期間とは関係なく、本人の恣意により生前退位をしてしまったために、現天皇誕生日との関係で「国民の休日」ではなくしたようです(明仁)。別の角度から見て、もし生前退位が可能ならば、憲法が切り替わった時(1947年)に裕仁は戦争責任を負って退位すべきでもあったでしょう。

たとえば現職の天皇の誕生日のみを「国民の休日」とするのならば、それはそれで一貫しています。休日が累積して増えていく難も避けられます。365代の天皇が続いたら年がら年中休みになってしまうからです。あるいは天皇や歴代天皇の誕生日を「国民の休日」には一切しないという選択もあります。このルールも一貫性があります。一公務員の誕生日に住民全体が振り回されるという難も避けられます。

敗戦時、天皇制に関わる「祝祭日」はすべて廃止されました。祝意を住民に強要することは思想信条の自由に触れるからです。国家神道による思想統制に対する反省です。現在の法定用語である「国民の休日」という呼び方にしても、「国民」ではない住民の存在が無視されているという問題が残っています。

この際、すべての「国民の休日」を廃止して、いつでも有給休暇が数週間単位で取れる国になっていってはどうでしょうか。「この期間に旅行しろ」とお上に決められ(ハッピーマンデーも)、常に渋滞を気にする必要はありません。かつては「みどりの日」と呼んで強引に存置させていた裕仁の誕生日を、ゴールデンウィークの維持のためという実利をぶら下げながら、極めて政治的な名称である「昭和の日」として存置し続けるのはいかがなものでしょうか。 JK