2021/03/03今週の一言

ルカ文書は全般にサマリア人に好意的です(ルカ福音書9章51-56節、10章25-37節、17章11-19節、使徒言行録8章4-25節)。新約聖書全体の使信に影響を及ぼしている「サマリア人への好意」は、おそらく生前のイエスの態度にまで遡ります(ヨハネ福音書4章)。

「ステファノの説教」(使徒言行録7章)にもサマリア人への好意は通底していると考えます。たとえば、テラの死後にアブラハムがハランから旅立ったとすることは『サマリア五書』に基づいています(使徒言行録7章4節。創世記11-12章と異なる)。ユダヤ教正統派とは若干内容が異なる『サマリア五書』は、サマリア人たちの正典です。またたとえばステファノが「シケム」という町を重視したりするところにもサマリア人への好意が伺えます(使徒言行録7章16節)。シケムはサマリア人の聖地ゲリジム山の麓にある町です。『サマリア五書』において、ゲリジム山への言及は大幅に拡充されています。

ところでサマリア人とはどのような人々なのでしょうか。ここでは狭い意味でシケムに住むサマリア教団を信奉する人々という意味に「サマリア人」を限定します(シケム人)。この意味のサマリア人たちが正統ユダヤ教から分派してサマリア教団を創設した時期は紀元前3世紀以降です。サマリア教団をユダヤ教正統と分ける特徴は、上述の聖地ゲリジム山の神殿と正典『サマリア五書』の他にもあります。真の祭司職はサマリア人共同体の中にこそ継承されているという主張や、モーセを唯一の預言者として他の預言者を認めないこと等です。それ以外は保守的なユダヤ教正統とほとんど同じ教理です。終末時に来臨するメシアへの待望もあります。

ユダヤ人とサマリア人の対立を決定的にしたのは、紀元前2世紀末に起こったユダヤ人の独立王国(ハスモン朝)によるゲリジム山の神殿破壊です。両者の力関係に基づく差別/被差別と(ユダヤ>サマリア)、ユダヤ人のサマリア人に対する偏見と憎悪は旧約聖書外典に数多く証言されています(シラ書50章25-26節「民族にも数えられない愚かな民」、マカバイ記二6章1-2節「住民の願い通りに」という嘲弄、ユディト記5章16節「シケム人」の付け加え、同9章2節「創世記34章のシケム人殺戮を正当化する祈り」)。

ステファノの時代、これらの外典も含んだ「旧約聖書」がヘブライ語でもギリシャ語でも存在し出回っていました。サマリア人差別は宗教的に強化されていたのです。このサマリア人と共に生きることは、ユダヤ人社会から追放されることを意味しました。ステファノがなぜ虐殺されたのかが伺い知れます。もちろん「良いサマリア人の譬え話」を遺したイエスの凄みも改めて知らされます。 JK