エジプトへ 使徒言行録7章9-16節 2021年3月7日礼拝説教

9 そして族長たちはヨセフを妬んでエジプトへと売った。そして神は彼と共に居続けた。 10 そして彼は彼を救い出した、彼の全ての苦難から。そして彼は彼に恵みと知恵を与えた、ファラオ、エジプト王の前で。そして彼は彼をエジプトの上の統治者に任命した、また彼の家の全ての(上の統治者に)。 11 さて飢饉がエジプトとカナンの全ての上に来た、また大きな苦難とが。そしてわたしたちの父たちは食べ物を見つけることができないままとなった。

 8節までのところ、ステファノの説教は、アブラハムをあまり美化しないで神を前面に出すという特徴を持っていました。また、アブラハム・イサク・ヤコブという一子相伝の「族長」ではなく、ヤコブの十二人の息子たちまで「族長」と呼ばれ、大切に扱われているという特徴もありました。これらの特徴は9節以降も続きます。

 ステファノはヨセフの異能について無視します。ヨセフは未来の出来事を予知することができました。自分で夢を見ることや、あるいは他人の夢を解釈することができました(創世記37章5-11節、40章1節-41章32節)。さらにヨセフは、未来の出来事に対して適切な対応策を練ることも、また、対応策を実際に実施することもできました(創世記41章33-57節)。ポティファルの家に仕えても、ファラオの家に仕えても、牢獄の中でさえも全体を管理する能力に優れていました(創世記39章4-6節・22-23節、41章40-44節)。

 9-10節はヨセフの異能がヨセフ自身の未来を切り開いたという側面を無視しています。それらの能力は、神がヨセフに「恵みと知恵」(9節)を与えたものでしかありません。10節の主語である、三回繰り返される「彼は」を見てみましょう。一回目の「彼は」は、9節の「神は」を受けていますから当然「神」を指します。二回目も同様です。三回目をファラオととるか、それとも神と取るかが議論の分かれ目ですが、ここもあえて「神」と訳しても良いでしょう。そうするとステファノの言いたいことに沿います。歴史の導き手は、ヨセフの異能でもなく、ファラオの権力でもありません。神だけが歴史を導くのです。

つまり「神は彼(ヨセフ)と共に居続けた」(8節)ということにステファノの説教の強調点があるのです。そしてその強調は創世記に繰り返し書かれていることでもあります(創世記39章2・3・21・23節)。聖書に基づきながら、ステファノは聖書の中から自らの強調点を取り出します。説教という営みはそういう作業です。そして聴衆に「神がどういう方であるか」を示すのです。アブラハム物語でもヨセフ物語でも、真の主役は神です。その神は「族長たちと共に居続ける神」です。

12 さてヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、彼は最初にわたしたちの父たちを派遣した。 13 そして二度目に、ヨセフは彼の兄弟たちに気づかれた。そしてヨセフの血族がファラオに知られるようになった。 14 さてヨセフは送って、彼は彼の父ヤコブを招いた、また七十五の生命における全ての親類を(招いた)。 15 そしてヤコブはエジプトへと下った。そして彼自身とわたしたちの父たちは死んだ。

 8節に引き続きヨセフはヤコブの息子たちを「族長」と呼んでいます(9節)。さらにほとんど同じ意味で「わたしたちの父たち」という表現を三回も使っています(11・12・15節)。「彼の兄弟たち」「ヨセフの血族」(13節)「全ての親類」(14節)も同じ意味です。ステファノは、族長をヤコブの十二人の息子や、さらには十二人の息子たちの子どもたち「七十五の生命」にまで広げています(14節)。特に15節にもう一度登場する「わたしたちの父たち」は、広い意味の「七十五名の先祖たち」や「イスラエル人」をさえ意味しえます。「全ての親類」(14節)が直前にあるからです。

 ステファノの強調点は、「神の民イスラエル」にもあります。神が共に居続けたのは族長個人ではなく、神の民・神の子らであるイスラエルという民です。民の真ん中に神は宿り続けました。民がカナンに居てもエジプトに居てもそうです。ヨセフの家族がエジプトに居ることは、神の民の分裂を意味します。分裂や分断を神は解決します。イスラエルを一つの民とするために、神はカナンにいるヤコブたち、すなわちヨセフ一家以外の「すべての親類」を動かします。

 このような神の民イスラエル重視はステファノが携わっている教会形成と関わります。ペンテコステを経験したガリラヤ人中心の初代教会員百二十人は(1章15節)、ペンテコステの日に外国人中心の三千人に膨れ上がりました(2章41節)。ステファノも最初の百二十人か三千人にいたと推測します。そうでなければ十二弟子の一人でもある福音宣教者フィリポよりも上の地位にステファノがいることは説明しにくいものです(6章5節)。彼の出身地は不明ですが、ギリシャ語も堪能な「ユダヤ人」もしくは「ユダヤ教への改宗者」でしょう(2章11節)。教会は最初から「七十五の生命」よりも大規模な集まりです。

ステファノにとって神は神の民(教会)の只中におられる方です。神は教会が行う毎週の礼拝(賛美、説教、祈り、晩餐/愛餐)で初めて実感される方です。神の民は、子どもや大人、男性や女性や両性にくくられない人、健常者やしょうがい者、ユダヤ人や非ユダヤ人、アラム語話者やギリシャ語話者などなど、さまざまな人によって構成される、礼拝共同体です。そのさまざな人々・生命を聖霊がつなぎ合わせています。

 さらに教会の周囲を取り囲む形で「民」(ラオス)がいました。教会に好意的な人々であり、将来の教会員ともなりうる人々です。エジプトでヨセフの親族に好意的だったエジプト人たちは、使徒言行録の「民」と重なり合います。その「民」の変質によって、ステファノたちが迫害されることも似ています。またエジプト人がヘブライ人と決して食卓を共にしないという差別構造も、教会とは何かを考える際に示唆的です。

教会という礼拝共同体は、最初の時から「外部」の人を招く伝道的な共同体でした。礼拝には必ず非教会員/教会に好意的な人が出席していました。食事も同時にしていた礼拝の途中で新来者に向かって、「あなたはあの食事(晩餐)には与かれないが、この食事(愛餐)までは出席を許す」と言うことが教会に可能でしょうか。それで伝道ができるのでしょうか。言葉も通じない新来者が来た時に、そのようなことが言えるはずがない。「よくお越しになりました」と言って、その言語が使える教会員が温かく迎え入れたはずです。礼拝の最初から最後まで歓迎されたはずです。「この人もアブラハムの子なのだから」。

さて先週見た通り、ステファノは『サマリア五書』に基づいてテラが百四十五歳で死んだ後にアブラハムがハランを旅立ったと言っています(4節)。本日の箇所もステファノが用いた聖書が何であったのかが一つの鍵を握っています。ヤコブ一家の総人数を「七十五人」とステファノが言っているからです。現在まで伝わるユダヤ教正統のヘブライ語旧約聖書は、「七十人」としています(出エジプト記1章5節)。『サマリア五書』でも「七十人」です。しかしギリシャ語訳聖書は同じ個所で「七十五人」と記します。さらに死海写本の二つのヘブライ語写本4QExodbと4QGen-Exodbも「七十五人」と記しています(紀元前2世紀ごろ)。この事実は、ギリシャ語訳聖書がヘブライ語の「七十人」を読み間違えて「七十五人」とギリシャ語に誤訳したのではなく、ヘブライ語の段階で「七十五人」だったことを意味します。ステファノの時代に「七十五人」と「七十人」の聖書本文が同時に存在していたのです。

現存する旧約聖書写本には三つの家系があります。正統ユダヤ教系列、ギリシャ語訳系列、サマリア五書系列の三つです。ステファノは「百四十五歳」についてはサマリア五書系列の聖書を用いました。しかし「七十五人」についてはギリシャ語訳系列の聖書を用いています。最高法院の議員や、祭司である教会員は当然正統ユダヤ教系列の聖書を用いています。ステファノの「家の教会」には三種類の旧約聖書があったのだと推測します。彼自身が最も親しんでいたのはギリシャ語訳系列の聖書ですが、おそらく彼は礼拝の中で多様な本文を自在に用いて説教をしていたのです。サマリア人の前ではサマリア五書を重視し、ギリシャ語話者の前ではギリシャ語訳を重視し、ユダヤ人の前ではユダヤ教正統の正典を重視し、引用し、解釈していったのです。最高法院で手に聖書を持たずに説教をする時に、ステファノの言葉に自然と多様な本文が織り込まれます。ステファノの説教の前半に何も処刑される理由がないとしばしば言われますが、決してそんなことはありません。ステファノの正典に対する開かれた態度と、サマリア人とギリシャ語話者に対する共感。最高法院はステファノの訴える多様性承認を危険視し彼を抹殺します。

16 そして彼らはシケムへと移された。そして彼らは墓の中に置かれた、それをアブラハムはシケムにおいてハモルの息子たちから銀貨で購入したのだが。

16節は従来「ルカ/ステファノの創世記に対する誤解」としてばっさり捨てられていた箇所です。というのも、ステファノが言うようにヤコブの息子たち全員が死後シケムに葬られた事実も、アブラハムがシケムに墓を買った事実もないからです(創世記23章参照)。アブラハムが買ったのはマクペラの洞穴です。アブラハムではなくヤコブがハモルの息子たちから買ったのはシケム城外の土地で、墓ではありません(創世記33章18-20節)。いくつかの歴史の事実が混在していますが、このような理解困難な旧約聖書引用にこそ初代教会の聖書の読み方がよく現れています。16節には一本の筋道があります。シケムという町の格上げです。それはすなわち「シケム人」とも呼ばれ、旧約聖書外典において宗教的に差別されたサマリア人、サマリア教団の格上げです。

外典のユディト記9章1-6節において、ヤコブの息子シメオンがシケムの町で虐殺行為を行ったことが正当化されています(創世記34章参照)。この記述は現に行われたサマリア人虐殺と差別を正当化するために書かれたものです。

説教者という人間は決して個人の思い付きで聖書解釈をしません。必ず説教を聴く会衆との「対話」のもと聖書は読み解かれます。この意味で説教は教会が形作るものです。ステファノはユディト記も持ちながら(ギリシャ語訳に収められている)、ユディト記のように創世記34章を読みません。むしろ礼拝の会衆に存在したサマリア人たちと共に、共通の埋葬地としてシケムという町を格上げします。全ての民の祝福の基アブラハムがその墓を買ったと強引に解釈しながらサマリア人と共に生きることを主張します。ステファノが教会で知った「サマリア人の譬え話」は、そのような生き方へと押し出す神の言葉でした。

今日の小さな生き方の提案は初代教会の大胆さに倣うことです。一体どのような礼拝をどのような会衆構成で毎週捧げていたのでしょうか。ステファノの説教は貴重な証言です。そこから、かなり自由な礼拝だったということが推測できます。平日の労働を終えた夜に人生の苦労に直面していた様々な人々が来て、自分の故郷を自由な雰囲気の礼拝で感じて、共に復活のイエスに出会って、渇かない水を飲ませてもらって、満腹し散会して、再び月曜日からの生活に再起動していく。多分礼拝しか活動はありません。わたしたちも、お互いに踏み込まず支配せず、自由な礼拝のみを毎週続けていきたいと願います。