2021/07/28今週の一言

 月刊『いのちのことば』の12回連載が終わりました。「ヘブル語のススメ」というわずか1600字程度のものですが、毎月締切をかかえるということは慣れない者にとって中々骨でした。しかも縦組みだったので、文字が上を向いたり右横を向いたり、単語を下から読んだりと、読者にとっても骨折りだっただろうと推測します。まあ、そもそも見たこともないような文字ですから、縦横の判別すら困難ではありましょうけれども。

 実はこの連載、次なる企画のための宣伝でもありました。ヘブル語の初級文法書の執筆がいのちのことば社から元々持ち掛けられていたのでした。連載の内容を拡充する形で初級文法書(名前はまだない)の作成準備をするかたわら、いのちのことば社としては読者の反応を見てから本の出版の適否を占うつもりだったのでしょう。こんな地味なテーマの連載でも思いのほか好評だったようで、初級文法書の出版計画が進んでいます。要するにまた締切をかかえてしまったということです。夏休みの宿題のようなものでしょうか。結構大変なので、「このまま企画倒れになっても良いのだけれど」などと不逞なことも思っています。

 そもそもわたしは学者でもなんでもない浅学な者なのですから、専門書を著すなどおこがましい限りです。しかも、連載にも記したとおり、西南神学部時代には聖書語学(ギリシャ語・ヘブル語)が苦手だったのですから、これはもう神さまのお導きとしか言いようがありません。

 西南を卒業する年に「若いうちは地方の教会に赴任して連盟や地方連合の仕事はあまりせず勉強をした方が良い」と言う言葉を聞いたこと。松本蟻ケ崎教会で案外自分がこつこつ勉強を続けることが好きだということに気付いたこと。英語が苦手なのに米国留学できたこと。米国のマカフィー神学校唯一の旧約聖書学者が語学を教える達人だったこと。帰国した直後の赴任地である志村教会に聖書語学を学びたい人が大勢いたこと。そして泉教会の会衆が下手な私訳つきの説教を忍耐強く聞いてくださっていること。

 このようなお導きを思い起こすと、不届きな愚痴や不平をつぶやかずに、聖書を原典で読む人の裾野を広げるために微力を尽くさなければとも思います。JK