2021/10/06今週の一言

 以前にサムエル記・列王記が一つながりの文書であることを申し上げました。もう少し広げて言えば、申命記・ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記という大きな塊が一つながりの文書です。この一連には政治的構想、言い換えれば編纂方針があるからです。それは南ユダ王国の再建計画です。その計画は、紀元前622年から609年までの「ヨシヤ王の申命記改革」という行政改革によって実施されました。一連の「歴史書」編纂の元来の目的は、行政改革を下支えするためというものです。学者は「申命記的歴史書」と呼びます。

 前721年北イスラエル王国はアッシリア帝国によって滅亡させられ、多くの北の民が南王国に流入してきました。その中にはホセア書を保存していた預言者の弟子たちもいました。ホセア書は北王国滅亡を警告する内容を備えています。滅亡の理由は「他の神々を様々な場所で拝むこと」にあるとされます。この思想が南王国の預言者集団に影響を与えます。北と同じ轍を踏まないために何が必要か。預言者たちと一部の行政官僚と政治勢力(「国の民」)が手を組み、一種の政治綱領である申命記の作成と、申命記を尺度にした「歴史書」の編纂が始まります。「唯一の礼拝場所(エルサレム)で、唯一の神ヤハウェを礼拝すること。神を愛すれば祝福、他の神々の後ろを歩むならば呪い」(王下17章)。この基準に照らして、列王記に登場する王は成績評価をされています。「土着の礼拝施設(聖なる高台)を存置すればヤハウェの目に悪であり、それを破壊すればヤハウェの目に正しい」。

 血なまぐさい政争の果て国の民により八歳のヨシヤ王が擁立されました(王下21章24節)。ヨシヤ王は、申命記主義者たちが長年温めていた計画を執行します。申命記が偶然を装って「発見」され(王下22章8節)、そこからモーセの権威を振りかざした申命記改革が始まります。祭司王となったヨシヤが、エルサレム神殿以外の礼拝施設を破壊し、民に唯一の神を唯一の場所で礼拝するように命じます。それにより中央集権国家をつくろうとしたのです。ヨシヤ王は、ダビデ・ソロモンの時代の版図回復のために軍事的領土拡張政策を取り続け、占領地においても聖なる高台を破壊しエルサレム神殿礼拝集中を推進しました。「ヨシヤ王が平和のうちに息を引き取る」との、預言者フルダの「当たらなかった預言」は(王下22章20節)、ヨシヤ王に寄せる申命記主義者たちの期待を示しています。JK