2022/01/26今週の一言

以下は父母の会礼拝の説教内容です。 

その家に入ったら、「平和があるように」と挨拶しなさい。マタイ10章12節。

今日の聖書は2月の暗唱聖句です。

 イエスが自分の弟子たちに向かって、他人の家に入る時には「平和があるように」と言いなさいと命じたというのです。何やら上から目線の発言のようにも聞こえます。しかし、これはヘブライ語に直すと、きわめて日常的な言葉です。「シャローム(平和)」という言葉は今も挨拶の言葉として用いられています。「当たり前の挨拶を当たり前にしなさいよ」という意味です。そしてこのシャロームの原義は「円満」、きずや欠けのない状態を指します。挨拶というものは、人間関係の円満の基礎であるということでしょう。

 世知辛い世の中です。知らない人に声をかけるなと子どもたちに言わざるをえない現実もあるとも思います。さて、その「知らない人」とは誰なのかということを深掘りして考えたいと思います。

 板橋区に住んでいた20年も前のこと。教会の信者さんの息子さんがいました。いわゆる知的障がいのある人でした。わたしと同い年です。その人はとても気の良い人でしたが、体が大きく力も強い人でした。母親である信者さんも小児まひで生まれつき肢体不自由な人でしたから、とても息子さんの行動を抑止できません。息子さんは子どもが好きだったので近くの小学校の近くでうろうろしては声をかけていました。それが110番通報され、時に職務質問を受けることもありました。

 信者さんの苦労を聞きながら、地域とは何かと考えます。「あの人は●●さんの息子さんで、子どもに挨拶をする癖を持っているけれども決して怪しい人ではない」という情報がもし地域に行き渡り、子どもたちにも行き渡っていれば、お互いに気持ちよく過ごせるのではないか。世の中にはいろいろな人がいることを学ぶことができるのではないかと思うのです。悪い噂に対する反対方向の巻き戻し情報を分かち合えないものだろうか、「その人のことを知っている」と言い合える地域になれないだろうかと考えるのです。その方が円満な解決ではないでしょうか。

 幼稚園では挨拶励行を旨としています。世知辛い世の中をどうすれば巻き戻せるのか、現実も直視しながら、時代の悩みを共に悩みたいです。JK