2022/02/09今週の一言

ヨブ記の著者は誰なのでしょうか。ヨブ自身はヨブ記全体を書くことはできません。彼の死までが記載されているからです(ヨブ記42章16節)。この事情はモーセが著者であるとされる「モーセ五書(創世記から申命記まで)」にもあてはまります。モーセは少なくとも自分の死についての記事を書くことはできません(申命記34章5-12節)。ヨブ記の著者は不明とするのが正直なところです。

古代ユダヤ教徒の中には、モーセがヨブ記の著者であるという推測をする人もいました。示唆深いと思います。確かにモーセは、ヨブ記の主人公ヨブの境遇について、よく共感することができたでしょう。モーセも人生の苦労を背負わされた人物だったからです。

モーセ著者説は、ヨブ記が「よくできたフィクション」であることをも示唆しています。エゼキエル書には伝説的な「義人」として、ノア、ダニエル、ヨブが列挙されています(エゼキエル書14章14・20節)。しかしヨブがなぜ義人と呼ばれるに足る人物なのかについての詳細は紹介されていません。義人ヨブについての、何らかの言い伝えを核としながら、ヨブ記の匿名の著者(たち)は、深い内容をたたえる信仰的文学作品を組み立てました。

ヨブ記の主題は、「人生における苦難とは何か」という難問です。一神教を信じる信徒にとって、不条理な苦しみに遭う理由や意義は何なのでしょうか。主人公ヨブにふりかかる不条理の苦しみと、彼の叫びが鋭い問いを発します。

神は義であり愛であるはずです。また神は、全知全能・唯一無比の存在であり、神のみが歴史を導いているはずです。なぜ神は敬虔な義人に苦難を負わせ、放置し続け、救わないのでしょうか。本当に神は義・愛を持ち合わせているのか、創造主・救済者なのか、唯一神教の教理の根本が問われています。

十字架上のイエスの叫びは、ヨブの問いに対する三一神教からの答えです。 JK