2022/03/23今週の一言

コヘレトの言葉は、旧約聖書の中に所収されているいくつかの分野に従うと「知恵文学」に類型分けされます。以前にも紹介した通り、天地創造の神を告白しながら、世界の法則について綴ることに知恵文学の本領があります。知恵文学の王道、「横綱」は箴言です。ヨブ記は横綱とがっぷり四つで毎場所優勝争いを繰り広げる「大関」、コヘレトはさしずめ、多彩な技で横綱に挑戦し続ける「関脇」でしょうか。

箴言にある楽観的な世界観をコヘレトは疑います。例えばコヘレト2章3節は、箴言20章1節への批判的応答です。「酔う者が知恵を得ることはない」と箴言は勤勉を奨励します。コヘレトは、「わたしの心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなお、この天の下に生きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた。」と混ぜ返します。

現実世界においては箴言が保証するように、「善人・義人・勤勉な者必ずしも幸せにならず」です。「善人がその善のゆえに滅びることもあり、悪人がその悪のゆえに長らえることもある」(コヘレト7章15節)。現実に対する洞察としてコヘレトの方が箴言よりも正しいように思えます。それゆえに「すべては空しい」(コヘレト1章2節)とまで言えるかどうかは、保留したいとは思いますが。

現在あるコヘレトの言葉は、複雑な編纂の結果一冊の書となったと推測されています。あまりに元来の著者の急進的・根本的な信仰批判に敬虔な書写たちが耐え切れず、随所に肯定的な言葉を織り込んだと言われているのです。たとえば4章7-8節の主張を和らげるために、直後の9-12節が加筆されたというわけです。

聖書は文書間での対話と文書内での対話によって雪だるま式に増えていった正典です。大まかな見取り図が楽しく読み進めるコツです。JK