2022/05/04今週の一言

雅歌の書名はヘブライ語においては「シール・ハッシーリーム」と言います。直訳すると「諸々の歌の中の歌」です。意外な書名です。この書名は、ユダヤ教徒が最大限の敬意を雅歌に払っていることを示しています。雅歌が、過越祭という重要な祭りの期間中の安息日に朗読されるからかもしれません。わたしたちキリスト教徒の暦に従えば、受難節・受難週に必ず雅歌は読み親しまれる書です。

このような雅歌のもつ特別な地位は、内容に即しているのでしょうか。「イスラエルの救済史」はそこには描かれていません。過越祭に朗読されるにもかかわらず、出エジプトを果たした神の救いの業も、そもそも「神」「主」という単語そのものも登場しません。全世界を創造された神への賛美もありません。雅歌の内容は疑いようもなく恋愛抒情詩の集積です。

雅歌を「正典(神の言葉)」に採用したのは紀元後90年頃のユダヤ教正統です。採用した彼ら・彼女たちの考えは何だったのでしょうか。決定的だったのは「ソロモンの権威」に敬意を払うべきという事情でしょう。雅歌は「ソロモンに属するうた」とされています(雅1:1)。そこで箴言(箴1:1)、コヘレトの言葉(コヘ1:1)に並ぶ権威が付与されます。紀元後70年に破壊されたエルサレム神殿への思慕がソロモンの権威を後押ししたと思います。「ソロモンは青年期に雅歌を、壮年期に箴言を、高齢期にコヘレトを著した」という伝説が生まれます。

正典とされた後、雅歌には強烈な「寓喩的解釈」が施されます。字義の裏に潜む霊的な意味をくみ取ろうとする努力です。恋愛は、神と神の民との関係を示すものとされます。正統的ユダヤ教徒もキリスト教徒もそのように解します。

雅歌の今日的意義は、「恋愛が純宗教的な行為に比べて劣っている」かのような考え方を打破することにあります。民族の救い・国益などという「大きな物語」に抗する「小さな物語」として読み直す必要があります。個の尊重です。JK