3/22今週の一言

3/22から4/5まで「聖書のいづみ」は春休みとなります。

「教会と政治フォーラム」という任意団体が発足し、この3月31日(金)午後6時半より「発会記念講演会」というものを御茶ノ水クリスチャンセンター411号室で開催することとなりました。わたしも成り行きで、様々な教派から成る世話人たちの一人となりました(座長と発会記念講演会の講師は山口陽一東京基督教大学教授)。

今後隔月一回の頻度でフォーラムを開催し、「日本における国家や政治と教会の関わりを、聖書と神学の視点から研究し」「現在の日本の状況を踏まえ、教会がこの時代に担うべき神学的課題を整理し」「整理された神学的課題を広く一般に提供」する予定です(会の「活動目的」より抜粋引用)。教会と政治について随想風に一言。

どんなに「政治的なことに関心がない」という人間でも、現実の政治と関わりのない人はいません。政策作り、政治的判断に基づく政策の法律化、法律に基づく行政の政策執行は、わたしたちの日常生活を規定しているからです。「お上」から一方的に規定される関係にとどまらず、政策作りや政治的判断に関与したり、行政の政策執行を見張ったりすることが、自治を担う市民一般に求められています。

神学という学問の守備範囲は非常に広いものです。なぜなら、神の支配する領域を全世界と考えているからです。キリスト教世界だけ、教会だけ、心の中だけと限定していません。当然、政治の領域も神の支配下にあります。だから、聖書や神学的思考を通して現実の政治を吟味することは可能です。

では「教会」は常に特定の立場の政治活動をしなくてはいけないのでしょうか。そうとも言えません。上述のように、教会に連なる人だけではなく、すべての人が政治的であるべきだからです。「キリスト者だから特定の立場の政治活動をすべき」と言うならば、反対の立場の政治活動をするキリスト者の存在を説明できません。

また教派によって「教会」の定義が異なることも課題となります。バプテスト教会の場合は、泉バプテスト教会のような一つの教会が自主自立し意思表明のできる「教会」ですが、「教区」程度の諸教会の集合体や、全世界にある諸教会の集合体を「教会」と考える教派もあるからです。

バプテストにとっては、「個人の意思で集まった礼拝で聖書の読みを養われ、信じたい思いが与えられ、交わりの中で信仰告白が整えられ、個人の信仰告白と密接不可分の事柄として、その政治思想と行動が個人レベルで発露される」と考えられます。同じ主張が多数とみなしうるならば、特定の政治思想が教会の意思となるでしょう。ただしその場合でも少数者の思想信条の自由が尊重されるべきです。JK