5/4今週の一言

5月4日の「聖書のいづみ」は休会でした。今回は憲法記念日(5/3)にちなんで、憲法について書いてみます。

憲法は「自由の基礎法」「人権の砦」と呼ばれます。国家権力というものは個人の自由/人権をないがしろにしがちなので、国家権力を縛るために憲法が制定されているからです(立憲主義)。そして、憲法を制定する権限を持っているのは、わたしたち主権者一人一人です。

こうして考えてみると、日本国憲法の三大原則が(①主権在民、②基本的人権の尊重、③平和主義)、それぞれ対等な関係ではないことに気づきます。①「主権在民」という基礎の上に、②「基本的人権の尊重」という本体建物が据えられ、その屋根の上に③「平和主義」という理想の旗が高々と掲げられているようなイメージです。つまり、③は②を前提にし、②は①を前提にしているのです。

憲法の改正は、現行憲法と一体のものとしてなされるべきと憲法に定められているので、三大原則の構造を壊すような改正は憲法違反となります。自由民主党が2012年に公表した改憲草案は、この点で出来の悪い建物です。安倍晋三総理大臣が自らを憲法制定権者/憲法解釈の最高責任者であるかのように振舞う姿にも、「デッサンの狂い」を感じます。

ただし、ここで思考停止に陥ってもいけません。かつてから今もある「護憲対改憲」という対立構図だけでは、憲法制定権者としての主権者の足腰が鍛えられていかないように思うからです。9条以外の条文について、わたしたちはあまりよく知らないのではないでしょうか。制定権者がそれで良いとは到底思えません。

「知憲」をお勧めします。条文内容と章立ての構造を、まず知ることから始めましょう。刑事訴訟に重点を置いた人権保障のための法であることが分かります。明治憲法下で権力が思想弾圧を激しく行ったことへの反省からです。

また、統治機構についてかなり分量を割いていることも分かります。主権者がどのように自治を行い、自分たちの代表者をどのように立てるべきかが、権力を縛ったり用いたりするために重要だからです。

知憲からさらに「持憲」をお勧めします。自分の憲法私案を作文し、憲法についての持論を手に携えることです。そうすれば、どのような改憲案を示されて国民投票がなされても、自説との比較の中で納得のいく判断ができます。「自分憲法」を公にして改憲運動を起こしても良いでしょう。制定権者なのですから。

わたしの自分憲法においては、天皇条項を除き自衛戦争も放棄しています。JK