7/27今週の一言

NHKで放映された未解決事件ファイルというシリーズの「ロッキード事件」を視聴しました。40年前の7月27日に、田中角栄元総理大臣は逮捕されたとのこと。当時小学生だったわたしでさえ、「コーチャン」「丸紅ルート」などの言葉は音として馴染みがありました。「記憶にございません」という言い訳も、しばらくの間実家で流行っていました。

未解決事件と銘打つだけあって、改めてロッキード事件の闇の深さを考えさせられましたが、番組製作者は(そして当時の捜査当局も)おおむね事件の構図を正確に捉えています。日米政府高官をも動かす力を持つ軍需産業で潤う者たちが、自分たちの都合で特定の兵器を特定の国家に任意で買わせて大儲けをしているという構図です。

影の支配者たちにとって、狙いを定めた国家中枢が「賄賂に弱いこと(金権政治の横行)」は、有利に働きます。賄賂以上に儲けが見込めるならば何らの損失も受けません。また、賄賂に弱い政治家・行政官は国家予算の元手が主権者の血税であることに鈍感なので、言いなりにしやすいのです。

驚くべきことは、田中角栄元首相が事件後の選挙においてもトップ当選を果たし続け、政界に「闇将軍」として君臨し「田中派支配」を続けていたことです。ここに敗戦後の日本社会が象徴されているように思えます。

田中角栄は裸一貫でのし上がった「今太閤」です。敗戦後まもなく29歳で衆院議員に初当選した後も、本会議での演説や議員立法などで活躍し、「保守本流」の佐藤栄作からかわいがられ、出世の階段を駆け上がったわけです。「コンピューター付きブルドーザー」と評された判断力・実行力で高い人気を得ました。

いわゆる「決められる政治」を実現できる剛腕が人気の源です。政策実現の際に手段を選ばなくても良い、かなり強引でも許容するというところに、日本の有権者の倫理的甘さがあります。「地元に新幹線を通してくれたから票を入れる」という理屈が、国会議員/公務員として取ってはいけない手段があるという理屈よりも勝っているのです。公平性を担保する手続き(熟議)と職業的倫理の重要性を、個人のカリスマ性よりも上位に置かなくては、代表制民主政治は成り立ちません。

当時の大手報道の過熱ぶりも示唆深いものでした。報道の仕方によって世論が誘導されており、今でも続くテレビ報道の影響力を示していました。テレビのスポンサー企業は世論を支配できます。

わたしたちはこの世界の支配者は、歴史を導く神であると信じています。唯一正しい神の前で、誤りの多い人間たちは補い合うべく民主政治体制を「よりましな社会」として選択しています。上記のような課題に敏感でありたいと思います。 JK