8/7今週の一言

もしもヨハネ福音書の著者が、「ゼベダイの子ヨハネ」(マコ1:19)であったならどのようなことが起こるのでしょうか。想像の翼を広げてみましょう。

たとえばあの有名な「四人の漁師の召命記事」(マコ1:16-20)に重大な異議が述べられることになります。ガリラヤ湖畔でペトロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネという二組の兄弟が、イエスの「人間の漁師となるように」との呼びかけに即座に応えて弟子となったという物語です。マタイとルカは改変しつつもこの物語を継承しました(マタ4:18-22、ルカ5:1-11。ルカはペトロに焦点を合わせ、アンデレを省略)。ヨハネ福音書だけがこの物語を無視します。それのみならず反する事実まで記載します。実は一番に弟子になったのはアンデレと匿名の弟子(著者か!?)であり、この二人は元々洗礼者ヨハネの弟子であり、出来事があったのはヨルダン川の向う側のベタニアだったと記すのです(1章)。ヨハネ福音書によれば、①アンデレ・匿名の弟子、③ペトロ、④フィリポ、⑤ナタナエルの順に弟子となったこととなり、この記載はマルコと異なります。

史実は一つです。ヨハネとマルコ、どちらが史実に近いのでしょうか。こういった場合の考え方として、「より困難な読みを採れ」という原則があります。「後のキリスト教の歴史や教理にとって受け容れることが難しい記事の方が歴史的には信用できる」という歴史学上の法則です。結論から言えば、ヨハネ福音書の記事の方が史実に近いと推測できます。

第一にペトロの地位です。ペトロはカトリック教会にとっては初代教皇として崇拝される人物となりました。ルカがマルコを脚色しペトロを主人公に仕立てつつアンデレを省略する姿勢こそ、後のキリスト教の立場を反映しています。アンデレとペトロの地位を逆転させているヨハネの記事は「より困難な読み」です。

第二に洗礼者ヨハネの地位です。ヨハネ福音書は、洗礼者の弟子をイエスが引き抜いたと語り、両者の同時競合関係を記します。アンデレ・匿名の弟子・ペトロはイエスと共に洗礼者の教団を割って出たようにも読めます。これはマルコが記す、両者の活動の前後関係・優劣関係を崩します。この場合も、洗礼者をイエスの先駆け=預言者エリヤとみなすキリスト教教理を、あまり重んじないヨハネの方が「より困難な読み」です(1:21参照)。

当事者の一人ゼベダイの子ヨハネの異議申立と考えるのも乙なのでは。(JK)