9/21墓参・召天者記念礼拝説教 ヨハネによる福音書18章36節

わたしたちは今、泉バプテスト教会に連なり、先に天に召された方々を記念するために集まっています。

しばしば「宗教はアヘンである」と批判されます。あの世とこの世を切り分けて、この世で苦労を負わされている人に対して、「天国に行けるのだから我慢しなさい」と語るからです。苦労の原因となる仕組みを取り除ける努力から遠ざけ、それなりに気持ちよくさせるなら、宗教はアヘンです。

「わたしの国はこの世に属していない」という言葉は、どのように理解すべきでしょうか。イエスもあの世とこの世を切り分けて考えているのでしょうか。そうではないと思います。むしろ、イエスの国=神の国は、すべての地上の国々・世界中の地域を含むものです。イエスの国がこの世に属するのではなく、この世がイエスの国に属するという、「大小関係」だと考えれば良いでしょう。そうすれば、二つの世界が切り分けられるのではありません。

イエスは「死者は生きている」とも言います。大昔に死んだアブラハム・サラ・ハガルなどの族長は、神を中心にした祝宴を囲んでいる、天において生きていると言います。先に天に召された人々は天国の祝宴に続々と参加しているわけです。生者の世界と死者の世界はつながっているのです。二つの世界は「連続関係」にあります。

そしてイエスを中心とする死者たちの食卓の交わりが、地上の不公正な社会のありようを批判します。天において御心が行われているのですが、地上では一部しか行われていません。互いに給仕するという愛の交わりを形成することこそ神の意志です。地上では愛の交わりが未完成です。二つの世界は「優劣関係」にあります。

教会はそれ自身未完成なイエスの国ですが、しかし、生者と死者の二つの世界を結ぶ結び目です。

主の来られる時まで神の国が近づいていることを告げ知らせましょう。そして主の来られる時まで先に召されたひとりひとりの死といのちを、それぞれの名前を呼び刻むことによって、告げ知らせましょう。それは天上と地上とを結ぶ教会の一つの大切な使命です。