知憲のススメ2 「前文」その二

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

前回の「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」についての詳しい説明が、今回の一番目の文です。「間接民主制」と言います。

憲法は政府や国会議員たちが勝手気ままに力をふるうことを抑えるための法です。その一方で、間接民主制という仕組みは政治家を泳がせやすいものです。もちろん王政よりはましですが、国民が直接関われないという点では、やはり同じ穴のムジナです。そういうわけで、いくつものシバリをかけて、政治家たちが暴走しないように釘を刺しています。

まず「正当な選挙」で選ばれなくてはいけません。選ばれた後も、選んだ国民の方が偉いということを忘れてはいけません。また、政治家には「自分を選んだ国民から頼まれた仕事をしているに過ぎない」という謙虚さが必要です。しかも自分のためではなく国民の利益になることをしなくてはいけません。そのためにのみ権力を使わせてもらっているという姿勢が、政治家の持つべき態度です。

国会議員たちの国会中の居眠りや、遅刻・早退・欠席や、野次・暴言などの勤務態度を見るにつけ(国会中継でぜひ実態を批判的に報道してほしいものです)、「国民の厳粛な信託」が踏みにじられているように思えます。「お上意識」の強い日本の風土に負けずに、「上から目線」でばっさりと切らないと、憲法のシバリも形ばかりのものになってしまいます。

「個人の方が国家より上にある」「国家に個人の自由を守らせるべき」「その延長で国家に戦争させない」という三大原則は、「人類普遍の原理」なのだと二番目の文に書いてあります。すべての人にあてはまるルールなのだという豪語です。しかし人類の歴史の中で、三大原則が完全に実現したことはありませんでした。この「人類普遍の原理」はただで与えられているものではなく、わたしたちのたゆまない努力によってしか実現できないものです。

現実には実現していないことを誰にでもあてはまり誰もが守るべきルールだと考えるという、この考え方そのものが大切です。それによって今歩いている道のりに意味があると考えることができるし、前に向かって歩く力が与えられるからです。憲法に基づく民主主義を実現させることは、永遠に続く革命なのです。

三番目の文は、明治憲法・それに基づく法律・天皇の定めた法令の否定です。明治憲法の言う「世襲による天皇が一番偉い(権威と権力を持つ)」ということは三大原則のすべてに反します。だからちゃんと否定するのです。こういうところに現憲法が明治憲法を改正したものだという足跡が現れています。