天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
1条から8条までを「第1章 天皇」と目次立てしています。今回は1章の冒頭である1条です。
「日本という国は象徴天皇制の国なのです」と言われます。「では、象徴天皇制ってなんなのですか」と問い直されたら、一言でスパッと答えられる人はあまりいないのではないでしょうか。国を象徴する人? 国民統合の象徴? 国民の総意? はてなだらけの条文です。
日本国憲法は大日本帝国憲法(明治憲法とも言います)を改正して生まれました。元の条文からどのように改正されたかを考えると、理解しやすくなることがあります。明治憲法でも第1章は「天皇」であり、1条から17条もありました。まず分量から天皇の地位が軽くなったことが分かります。関係のあるところを抜粋します。
1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(ゴメンナサイ、原文がカタカナなのです)、3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(コメンナサイ、濁点もオキナツテクタサイ)、4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ・・・」、9条「天皇ハ・・・臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ・・・」、11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあります。まとめます。明治憲法は「天皇は、①宗教的な意味の象徴であり、②政治的な意味の元首であり、③軍事的な意味の総司令官である」としているのです。
日本国憲法は、完全に③を削りました。②についても削るつもりが、少し曖昧な残し方をしました。それが「国民統合の」です。このことが3条・4条・7条の「国事行為」と関係します。①だけは残りました。それは政教分離原則にとって禍根を残すこととなりました。ともかく天皇の地位を軽くさせる方向性を確認できれば、それで良いでしょう。①②③フル装備天皇から、①のみ軽装備天皇になることに改正の要点があります。
もっと根本的な考え方の変革があります。「主権を持たない臣民」から「主権を持つ国民」へという大変化です。前文には天皇についての言及がありません。憲法の原理原則から天皇は排除されています。なぜなら、天皇制は(ついでに言えばすべての王制も)「国民主権」という原則になじまない制度だからです。前文と1章の間には深い溝・深刻な葛藤があります。
明治憲法の「天皇が家臣である国民を守ってあげる」という考え方を、1条は「主権者である国民が天皇の地位を保証してあげる」と逆転させます。これを立憲君主制と言います。象徴天皇制とは立憲君主制の一種であり、不徹底な民主主義社会です。どうすれば国の象徴たる人物をわたしたちの総意で選んだことになるのでしょうね。