①天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
②天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
法律の条文の冒頭に「①」「②」などという数字がある場合には、「一項」「二項」と読みます。また「一」「二」などという漢数字がある場合には、「一号」「二号」と読みます。「条」の下に「項」があり、「項」の下に「号」があります。住所でいう「一丁目20番4号」と同じような階層構造です。階層構造を意識することは頭の整理に役立ちます。
第4条は一項と二項から成ります。一項は天皇の政治的な役割をできるかぎり制限しています。「天皇には政治的権限がない。国事行為だけを自分の仕事として行う」、これが原則です。
二項は天皇が自分の仕事を誰かに委ねることができるとして、例外的に少し制限を緩めています。ただし、国事行為を委ねることができるのは「法律の定め」がある場合だけで、ここにも厳しいシバリをかけています。法律は国会でのみ立てられるので、国会の承認なしには国事行為の委任もできないということになるからです。
このように、法律は一項で原則を定め、二項以降のどこかで原則に対する例外を書くことが多いものです。この原則と例外を意識することは頭の整理に役立ちます。日本国憲法において、天皇という公務員には政治的権限を与えないということが原則なのです。なぜでしょうか。
理由を考えるのに、明治憲法との比較が役に立ちます。天皇は国の元首であり統治する権限を持っていました(明治憲法4条)。天皇は法律を作ることもその執行を命じることもできました(同5-6条)。衆議院を解散させることもできました(同7条)。緊急の場合は法律に変わる勅令も出すことができました(同8条)。行政上の命令も発することができ、すべての文武官の任免権を握っていました(同9-10条)。天皇は陸海軍を統帥し編成もできました(同11-12条)。宣戦布告も講和もでき、他国との条約を結ぶことも、国内に戒厳令を敷く権限も持っていました(同13-14条)。栄誉を授けることもでき、そして懲役に服している人の減刑もすることができました(同15-16条)。
明治憲法において、天皇はほとんどすべての政治的権限を持っています。「大日本帝国憲法」下の大日本帝国は、天皇主権の国家だったのです。それに対して「日本国憲法」下の日本国は、国民主権の国家です。立法・行政・司法の「三権」から、(特に政治部門と呼ばれる立法と行政から)天皇を締め出すことが日本国憲法の大原則なのです。「天皇には国事行為だけをさせてあげる」という上から目線が、主権者国民に求められます。
こうして考えると、国事行為の委任を許している理由も察しがつきます。明治憲法において天皇は神聖不可侵の存在でした(明憲3条)。それは「替えがきかない」という意味でもあります。事実、明治憲法において天皇は自分の仕事を部分的に委任できません。日本国憲法は天皇を神聖な存在から「国事行為を行う公務員という機能」に格下げしています。「国事行為が滞ると困るよね」というこちらの都合優先で、天皇の仕事を部分的に分けても構わないと、とてもドライに考えているからです。