①天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
②天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
6条は少し宙に浮いた条文です。
今までさんざん「天皇は国事行為だけを行う」と書かれてきました。3条・4条・5条です。そして、次回に取り上げる7条で「国事行為の内容」が具体的に書かれることになります。その谷間の6条で、「国事行為」という単語を使わないかたちで天皇の仕事について定めているので、宙に浮いて見えるのです。
そこで講学上も実務上も、内閣総理大臣と最高裁判所長官の任命を、「天皇の国事行為の一つ」と解釈しています。もし、「両名の任命を国事行為ではない」と考えると、たちまち3条・4条・5条と矛盾してしまうからです。6条の内容を、7条の国事行為の中に入れ込んでもらえればスッキリしたのでしょうけれどもね。
スッキリしないのは言葉使いの「表記揺れ」にも及んでいます。実務上、これがややこしい事態を引き起こしています。6条で両名だけを「任命」し、7条では国務大臣等の行政官の人事を「認証」するという用語上の違いが、その表記揺れです。天皇による任命と認証は異なるのでしょうか。同じなのでしょうか。任命という言葉に天皇の主体的な意思や客観的な権限の強さが含まれるので問題となります。
結論的には、任命と認証は実質的に同じと解釈されています。天皇に政治的権限が無いという視点に根ざして、どちらも儀式的・形式的な行為に過ぎないと理解されるのです。この解釈の際に鍵になるのが、「国会の指名に基いて」(1項)・「内閣の指名に基いて」(2項)という実質的権限を持つ者たちの明記です。逆に天皇にはこれらの指名を拒否する権限がありません。その点、認証も同じです。必ず任命・認証しなくてはいけないので、儀式的・形式的な仕事なのです。
とは言え、憲法の条文で言葉を使い分けていることに配慮し、任命する場合は「親任式」、認証する場合は「認証式」と実務上儀式の名前を変えています。この儀式の名称は明治憲法下の名残でもあります。かつては親任式で任命される行政官は、「親任官」と呼ばれ格上だったのです。この経緯を考えるとさらにスッキリしない感が増します。
内閣総理大臣の任命を、天皇は直前の「内閣の助言と承認」に基いて行います。それによって、3条との調和を図っています。だから、内閣総理大臣だけが先に天皇に親任式で任命され、その他の国務大臣はその後の認証式で天皇に認証されるという、「閣僚間の就任時差」が生じています。短いときには数時間の時差に過ぎませんが、長いときには一週間も内閣が総理大臣一人だけということがありました。スッキリしない事態です。
ところで、「三権の長」の中で衆参両議院の議長だけは、天皇が任命するのではなく、両議院が選任することとされます(58条)。この理由は、国会が「国権の最高機関」(41条)だからでしょう。ここにおいても国民主権原理が勝っています(前文)。この説明だけはスッキリできました。