今週の一言

聖書は行間の広い本です。一所懸命に読んでいても何を言いたいのかがよくわからない、特に初読者に不親切な本です。ある種の手ほどきなり、説明なりがないと理解することが困難です。

まず基本的な認識が必要です。それは、聖書が大勢の著者や読者によって編纂された本であるということです。ひとりの人の書き下ろし作品ではありません。66の文書の、長い期間かけてなされた集積であるということを認識することが大切です。この認識によって聖書を読むためのコツがのみこめます。

コツの第一は、その文書が書かれた時代について知ることです。およそ文書というものはすべて時代への意見表明です。個人の日記でさえそうです。だから逆に書かれた時代や場所について知るならば、著者の言わんとすることが推測できるのです。たとえば聖書には全自動洗濯機についての言及はありません。21世紀の日本の文書ではないからです。

コツの第二は、文書を書いた著者について知ることです。その文書の中での著者の自己紹介や、他の文書におけるその人への言及、さらに聖書以外の古代文書などから、どのような人が書いたのかを調べることです。以上のような研究分野を「緒論学」と呼びます。聖書学の中の一分野です。

4月4日の祈祷会からアモス書を読み始めました。上記のコツにあてはめてみましょう。アモス書は紀元前8世紀に北イスラエル王国で書かれた文書です。当時はアッシリア帝国という軍事超大国が、西アジア一体を侵略併呑していった時代でした。北イスラエル王国・南ユダ王国(合わせてイスラエルとも呼びます)はどちらも弱小国です。しかし、強烈な選民意識を持っていて、「神国イスラエルは永遠不滅」という安全神話をいだいていました。「神に選ばれたゆえに救われる」という狂信です。しかも、当時のイスラエルは空前の経済的豊かさを享受していました。バブルの時代です。それは同時に貧富の差が急激に広がった時代でもありました。

そこへ預言者アモスが登場します。当時、職業的な預言者は「御用学者」でした。王の側近であり、王宮のシンクタンクのような仕事をしていました。それに対してアモスは別の職業を持っています。彼は富裕な国際的豪商であり、知識階級の人物と推測されています。そして権力から距離をとっていたために、王権権力への批判が自由にできました。彼は預言で飯を食っていたのではありません。ボランティアとして、誰からも頼まれず、ただ神から召されたという自意識のみによって、預言活動を始めます。預言活動とは、自分の信じる神の意志を伝言することです。アモスの伝言は当時の常識をひっくり返すものでした。「北イスラエル王国は、神に選ばれたゆえに滅びる」という言葉だったからです。

およそ選民意識は鼻につくものです。わたしたち教会はどこまでそこから解放されているか、アモスは問うています。

2013年4月7日 城倉啓(じょうくら けい) 泉バプテスト教会牧師