今週の一言 2013年5月2日

5/2の祈り会ではホセア書1章1節-2章3節を学びました。

 アモスの活動(紀元前760年頃)から遅れること10年ほど預言者ホセアが登場します。おそらくアモスの預言をベテルで直接聞き、さらに記述されたアモス書を読み(史上初の預言書)、ホセアは北王国の首都サマリアで預言者としての活動を始めます。

 ホセア書1章は伝記部分です。そこには「象徴行為」が記されています。象徴行為というのは、行為による預言です。預言者が行うことそのものがメッセージとなると言っても良いでしょう。ホセアの場合それは結婚という行為でした。

 当時北王国の諸都市に設けられていた神殿には「神殿聖娼」という職業がありました。バアル宗教という多神教が優勢だった時代です。主なる神でさえ、バアル宗教の中に組み込まれ、他の神々の中の一つとして拝まれていました。そして豊穣を祈る祭儀の中で祭司は神殿聖娼と性交渉を持っていたのです。ホセアは主と他の神々を同時に拝む状況を、上記の祭儀の慣例と重ね合わせて、「宗教的不倫(姦淫/淫行)」と断じて批判します。

 主はホセアに神殿聖娼の一人であるゴメルという女性と結婚するように命じます。このことはホセアにとって苦悩に満ちた命令でした。なぜかと言えば、ホセアは神殿聖娼という職業に対してきわめて差別的な考えを持っていたからです。宗教的不倫を職業的に支えている「聖なる性産業従事者」としてしか考えられなかったのです。結局ホセアはゴメルと結婚します。

 この預言者の行為に神からイスラエルへのメッセージが込められています。それは神の自由で一方的な愛がイスラエルを救うということです。ホセアを通して語る神は、民に悔い改めを要求しません。ただ民に対して一方的に怒り一方的に愛する、自由な神が描かれています。

 神の自由な愛はわたしたちにいつも新たな挑戦をもたらします。というのもわたしたちは自分の隣人の範囲を定めて範囲外の人を愛さなくてよいと考えがちだからです。わたしたちは不自由です。アウトローとされていた徴税人・娼婦・罪人を自由に愛したイエスの姿はホセアの描く神の姿に似ています。自由な神の命令に戸惑うホセアの姿は今のわたしたちの姿に似ています。(JK)