10月10日の祈祷会ではナホム書1章1-14節を学びました。
今まで旧約聖書という本がどのような順番で膨らんできたかを学んできました。大雑把に、①前8世紀の預言者たちの文書活動(アモス書、ホセア書、ミカ書、イザヤ書)、②前7世紀の国の民らが編纂した申命記的歴史書(申命記・ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記)、そして、③前7世紀の預言者たちの文書活動が加わります(ゼファニヤ書、ナホム書、ハバクク書)。ナホムは、この第三のグループに属します。成立年代は前612年ごろです。
前612年にアッシリア帝国が滅亡します。前622年に始まったヨシヤ王による申命記改革は、アッシリア帝国の弱体化を背景に「成功」していました。アッシリアがパレスチナ地域にまで軍事的支配力を及ぼせなかった空隙に、ヨシヤ王は南北統一王国の失地をすべて回復したのでした。その歴史的文脈の中にナホムの預言があります。預言全体の内容はアッシリアへの嘲けりです。
旧約聖書の預言は詩文学の一種です。ナホム書のような詩を「嘲笑歌」と呼びます(他にもイザヤ書46章などの偶像批判)。またナホム書1章は、アルファベット順に頭韻を踏んでいます(日本語では分かりません)。哀歌1-4章や詩編119編も同じようなアルファベット詩です。これらの情報は、ナホムが知識人階級にいたことを類推させます。
ナホムは恐らくヨシヤ王の申命記改革の担い手の一人です。フルダと同様預言者として、この政教一致した軍国主義国家の拡大と中央集権化に寄与したのでしょう。彼の言葉は十戒の第二戒と重なります(申5:8-10)。「熱情の神(ねたむ神)」として偶像をつくり拝むことを禁じ、その戒めを違反する人に厳しく報復する神像が、ナホム1:2と用語レベルでも合致します。
ナホムのような思想の淵源には預言者エリヤの言行があります。エリヤは前9世紀北王国でバアル宗教を国教とした権力者たちを批判した預言者でした(王上17章以下)。彼は文書を残しませんでしたが、その思想は多神偶像礼拝を「宗教的不倫」として指弾するホセアや、報復戦争・虐殺を是とするナホムらに受け継がれ文書化されたのです。これは旧約の一面です。そして報復の連鎖を止めようとするキリスト者が乗り越えなくてはいけない負の一面です。(JK)