11月7日はエレミヤ書3章6-13節を学びました。
エレミヤは北王国の預言者ホセアの影響を強く受けています。北王国滅亡の際にベニヤミンの地にも多くの戦争難民が避難し居住し、その中にホセアの弟子集団や北王国の書記(高級官僚)がいました。申命記改革の担い手であるユダ部族の「国の民」と同様に、エレミヤもこれらの北王国からの流民と接触をもっていたと想定されます。その証拠となるのが3章です。
ホセアは北王国の「金の子牛(バアルの象徴)」崇拝を宗教的な不倫、すなわち「姦淫」として批判しました(ホセ2:4以下、8:4-6等)。申命記的歴史書においては、偶像崇拝が聖なる高台や「高い丘の上と、茂った木の下」における行為として批判されます(王上12:28以下、14:23など)。これらの思想と表現をエレミヤは踏襲しています(6-9節)。
姦淫という言葉を個人レベルのみに押し込めない注意が必要です。神ならぬものを神として拝む国家の問題を「姦淫」と指摘しているからです。「背信の女イスラエル(北王国)」・「その姉妹である裏切りの女ユダ(南王国)」というたとえも、国家レベルでの姦淫の罪という見解を支持します。この意味の「姦淫」は、エレミヤからエゼキエルへ踏襲されます(エゼ23章)。
北王国の滅亡を反面教師とする南王国の「申命記改革」にエレミヤは賛成です。北王国を南よりもまだましと言う皮肉な言い方は、南王国を何とかしたいという思いからのものでしょう(10-11節)。
またエレミヤはヨシヤ王の軍事的侵略政策を支持していたようです。この点については同時代人であるナホムと通じるところがあります。12-13節にある「北に呼びかけよ。背信の女イスラエルよ、立ち帰れと」という言葉は、滅亡した北王国の領土を軍事的に占領するヨシヤ王を支援する言い方です。南王国の領土に入れば立ち帰りが期待されると解されるからです。
現代の目から見て、女性側に非を認めることに傾く「姦淫」という表現の問題や、政教一致した国家の問題、軍事侵略を肯定する問題がエレミヤにも含まれています。その上で耳を傾けるべきは、エレミヤの語る「国家の立ち帰り」の意義です。神と隣人に対する「誠実な謝罪と賠償」と私は解します。(JK)