今週の一言 2013年12月19日

12月19日はエレミヤ書29章1-14節を学びました。

 29章は前598年の第一次バビロン捕囚後に、エレミヤが捕囚民に宛てた手紙です(1-3節)。南ユダ王国はエレミヤが予告してきたとおりバビロンに軍事占領され、王をはじめとする貴族たちが強制連行されました。その人たちに向かってエレミヤは決して「だからわたしが言っていたじゃないか」「ざまあみろ」という言葉を吐きませんでした。そうではなく、丁寧に彼ら彼女らのための慰めと励ましに満ちた手紙を送ったのでした。滅びる前には厳しい警告を、滅んだ後には優しい慰めを。これが預言者の仕事、未来志向の言葉かけです。

 手紙の内容は、①バビロンの捕囚の地で日常生活を取り戻し、その地の平和を祈り求めるように(5-7節)、②神は将来必ずバビロンから連れ戻すという平和の計画を立てている(10-14節)というものでした。①と②を結ぶ言葉は、平和(ヘブライ語シャローム)です。

ここでエレミヤは平和という言葉を、自国の戦勝や敵国の敗戦という意味で用いていないことが重要です。前半の平和は、子孫が増えることと関係付けられています(6節)。この考えは、創世記の示す「祝福」と呼応しています。「産めよ、増えよ、その地に満ちよ」(創1:28、9:1、9:7)。エレミヤの描く平和のイメージは、互いの多様性を認め、異なるいのちを祝福し合う社会です(イザ11:6以下)。決して戦争が無い状態だけを意味しません。

後半の平和は、七十年後の捕囚からの解放という希望と関係付けられています。人は希望によって生きることができるし、しかも実現までに時間がかかる事柄への希望によってのみ生きることができます。災いというものは即断する権力者によってもたらされ、平和というものは息の長い希望を持ち続ける民の歩みの中で実現していきます。それは「わたしは平和の計画を立てた」(11節)と確言する神への信仰によって裏付けされた希望です。

米国の公民権運動の指導者キング牧師が遺した言葉に、「悪人が悪巧みを謀る一方で、善人は良い計画を立てるwhile an evil man plots, a good man plans」というものがあります。クリスマスの折、神(良い方)の立てた平和の計画を確認し、希望をもって自分たちも平和の計画を立てていきたいと願います。(JK)