今週の一言 2013年5月9日

5/9の祈り会ではホセア書4章1-6節を学びました。

 ホセアは十戒の内容を忠実に言及している、珍しい預言者です(他にはエレミヤだけ)。ホセ4:2は、「呪い、欺き、人殺し、盗み、姦淫がはびこり、流血に流血が続いている」と、北イスラエル王国の状況を批判しています。この「呪い」を神の名の濫用と考えるなら、第三戒(主の名をみだりに唱えるな)の違反です。「欺き」を裁判での偽証と考えるなら、第九戒(偽証するな)の違反です。このように前二者は内容的に対応しています。

さらに「人殺し」は第六戒(殺すな)、「盗み」は第八戒(盗むな)、「姦淫」は第七戒(姦淫するな)に、それぞれ同じ単語を用いるほどにぴったり対応しています。十戒全文については出20章・申5章を参照してください。

 十戒は律法の中の律法と称される重要な聖句です。ユダヤ教はもちろんのこと、キリスト教会でも「主の祈り」と並んで長い間礼拝の中で用いられてきました。ホセアがその十戒を「神の律法」(4:6)と呼んで、それを用いて時の権力者である「祭司(政教一致した社会における権力者)」「預言者(この文脈では御用学者)」を批判していることが印象的です(4:5-6)。今で言う「立憲主義」と同じ構造を持っているからです。

 立憲主義とは、憲法を用いて権力者が人権侵害をしないように、民が国家を縛るという考えのことです。憲法96条の改変は、この立憲主義を軽視し破壊することにつながるので、大いに問題です。過半数で改憲できるならば時の政権が暴走したときに縛るものがなくなってしまうからです。

 ホセアと同様にイエス・キリストも「神の律法」を用いて力を濫用する者たちを批判しました。「神を愛せ」「隣人を愛せ」という二つの命令に「律法」全体を要約し、それらを実践していない者たちを批判しました。十戒の前半を「神への愛」・後半を「人への愛」と解するならば、キリストの要約はホセアの言葉と共鳴しています。ファリサイ派・サドカイ派・ヘロデ党・ローマ総督などは、この批判を封殺するためにイエスを十字架で処刑したのです。

 4:1「この国」は、「この地」ないしは「世界」とも訳せます。ホセアの告発は、昔の北イスラエル王国のみならず、今も世界中で、この日本でも妥当します。神の律法および平和憲法を十全に用いたいものです。(JK)