今週の一言 2013年9月5日

9月5日の祈祷会ではゼファニヤ書1章1-11節を学びました。

 預言者ゼファニヤは前640年ごろから預言活動を始めました。これはイスラエルの預言活動にとって長い中断の後の再開を意味しました。前700-650年、マナセ王の治世はアッシリア帝国への隷属の時代・思想統制の時代であり、「主の言葉」(1節)を語り記述することが禁じられていたのです。ゼファニヤ(主は隠す/守るの意)という名前は、表現/内心/信仰の自由が制約されていた時代にも神の守りがあったことを示唆します。

ゼファニヤの主張の多くは「前8世紀の預言者たち」を継承しています。「主の日」(7節)に神が神の民を裁くという考えはアモスを、主と並んでバアルを拝む者たちが被造物と共に一掃される(2-4節)という考えはホセアを引き継いでいます。また社会的弱者を搾取する富豪への批判は(11節)、イザヤやミカにも共通します。

これらの伝統的預言者の主張を基本に据えながらゼファニヤは自分の時代の課題を取り上げます。それはマナセ王が導入したアッシリア流の「神殿内の星辰信仰祭儀」です(5節、王下21:3参照)。ゼファニヤは二重支配を問題にしています。預言者を思想弾圧する自分の国の王権支配と、自国南ユダ王国を武力によって威嚇するアッシリア帝国の世界支配です(8-9節)。

ゼファニヤは南ユダの滅亡を警告し、アッシリアの滅亡をも見通します(2:13)。そしてその後の歴史は、アッシリアを滅ぼした新バビロニア帝国が(前612年)、南ユダをも滅ぼすというように展開します(前587年)。「魚の門」(10節)はエルサレムの北側にあったと言われますから、北から侵入したバビロン軍を言い当てた預言と言えるでしょう。剣を取る者は剣で滅びるのです。

敗戦後の日本は戦時下とガラリ変わって国をあげて親米となりました。わたしは民族主義者・国家主義者・軍国主義者ではありませんが、首都圏に外国軍が駐留していることは異常であると思います。政治報道も米国一辺倒、米国文化への憧れを助長する教育が長期間にわたって親米政権によってされ続けています。「日米同盟」「安保」「集団的自衛権」「核の傘」。オキナワの現状を是認するような日米両政府の二重支配について批判的でありたいと思います。(JK)