教会で出会い結婚した両親は、毎週日曜日一人娘の私を教会に連れて行ってくれました。家族3人にとって日曜日に教会に行くのは当たり前のことであり、生活の中心が教会に行くことでした。
1歳頃、父が転勤になり、A市に転居しました。通い始めたAバプテスト教会は、とても大きな教会で、物心ついた時には周りには同年代のクリスチャンホームで育ったお友達があふれていました。幼稚園年長の時に教会のすぐそばに転居し、1年間教会付属の幼稚園に通いました。それまでの幼稚園とは違って、平日にも神様のことを知っている友達に囲まれて過ごせるというは素敵なことでした。
いつしか漠然とバプテスマを受けたいという思いを抱きました。神様が私をいつも守ってくださるのも知っているし、イエス様が私の罪のために十字架にかかってくださったのも知っているし、どうしてバプテスマをまだ受けていないのか自分で急に不思議になったのです。1つ年下の自分より身長が低いお友達がバプテストリーでおぼれることなくバプテスマを受け終えたのを見て安心し、短い信仰告白を書いて両親に見せました。牧師先生に見せてごらんと言われ、渡しにいきました。薄暗く小さな明かりが灯る牧師室でゆっくりと信仰告白を読み終えた牧師先生は眼鏡の奥で嬉しそうににっこりと笑って、一緒にお祈りしてくれました。そしてバプテスマを受けました。小学2年生の時のことです。
A市での生活は9年3か月にわたり、小学5年生の夏に父が転勤のためB市に転居しCバプテスト教会に転入会しました。
高校に進学して少しした頃に、友達関係でちょっとした悲しいことがありました。ひとりで泣いて祈り、気持ちが落ち着いてきたときに急に、イエス様が一緒にいてくださっていることを強く感じました。それまでにも辛く悲しいときに祈ることは日常茶飯事でしたが、その時ほど自分が辛く悲しかった時に誰よりもイエス様がそばにいてくださったことを実感したことはありませんでした。
大学を卒業し社会人になって夫に出会いました。天理教を信仰する親族に囲まれて育った夫でしたが、教会の幼稚園や高校時代の教師にすでに信仰の種が蒔かれていました。「いつか教会に行ってみる?」というようなことを恐る恐る聞いてみた私に、「教会に行ってみたい。もしかしたら自分が教会に行くために神様が出会わせてくれたのかもしれないから。」と夫は答え、とても驚いたのを覚えています。私の両親に挨拶にきた時に「私たちはクリスチャンです。うちのことを知りたければ明日から教会にくるように。」と父から言われた夫は、その翌日から教会に通い始め、約半年後にバプテスマを受けました。
神様はいつもその時々に私の信仰生活を支える誰かを用意してくださいます。私を教会に連れて行ってくれたのは両親です。小学生の時はA教会で同年代の友達と共に聖書を読み学ぶのが楽しみでした。中学生の時からC教会のCS幼稚科小学科で奉仕をさせていただき、高校受験・大学受験・就職採用試験などの時にも変わらず休まず教会に通い続けられたことは私にとって大きなことでした。次週の奉仕準備をするために祈り、聖書を読みます。そのために受験勉強や専攻実技の練習をする時間が割かれましたが、神様から離れずにいられ、気持ちが穏やかに過ごせました。幼い子どもたちの存在から神様を感じられました。大学生の時は大学進学のために地方の教会から転会してきた女性が大親友になり私を支えてくれました。そして今はどんな時にも祈ることを忘れない夫がいます。神様からいただいた賜物が用いられるのは嬉しいのに奉仕が辛くなってしまった時が長くありました。気持ちが沈んで身体がくたくたになってしまった時もありました。それでも夫はいつも私を教会に連れてきてくれます。
住まいが都内のため他県のC教会に通うのではなくて近くの教会に通おうと何度も考えましたが、なかなか実行できずに10年以上が経ちました。そしてこの4月から新しい教会を探し始めるべく、家族で一歩踏み出し始めました。神様はすでに私たちが通うべき教会を用意して下さっているという確信があり、それがどこなのか楽しみでした。前述の大親友が現在は牧師の妻になっており、夫妻で遠くからいつも祈ってくれています。彼女は「神様、私に答えをわかりやすく教えてください。」と祈る人で、我が家もそのように祈りました。「どこが私たちの通う教会になるのか、わかりやすく教えてください。」と朝祈ってからその日その日に決めた教会に向かいました。
教会探しは小旅行のようでした。週替わりで何人もの牧師先生のメッセージを聞くことができ、久しぶりに会う友人と楽しく語らうこともでき、様々な礼拝の形式やCSの持ち方があることを知り、とても楽しい時でした。最初は子どもたちにとって良い教会を求めました。CSと礼拝に出て帰宅しては夫婦で話しました。子どもが大人と一緒に礼拝にでられる教会に通いたかったのでお互いがそう捉えたかどうかを話しました。私たち夫婦は共働きで小さな3人の子どもを育てる身です。平日はできない家事を土日にこなさなければならないため、奉仕を多くしないと居づらくなる教会は避けたいねとも話しました。それはまるで「奉仕が楽で、子どもが自然とクリスチャンになりゆく教会はどこだ?」と探しているようでした。
ちょうどその頃、あるクリスチャンの友人から、夫が教会に行かなくなってしまったので祈ってほしいと言われました。それは私にとって衝撃的なことでした。もし自分の夫が同じように教会に行かなくなってしまったらどうしようと不安になり祈りました。子どもにとってどんなに良い教会でも、夫が教会に行かなくなってしまったら子どもも私も神様から離れてしまうのではないかという思いが湧きました。その時から私は、夫が行きたいと思える教会を求めるようになりました。
しかし、教会をまわるうちに視点が変わり始めました。自分たち家族がそこで何ができるかを考え始めたのです。奉仕をなるべくせずに済む楽な教会を求めていたはずなのに、自分たちに神様から与えられているミッションを見つける小旅行に変わり始めました。この教会ならCSをもっとこうできるかもしれない、あの教会なら礼拝中に遊んでいる子どもたちが大人と共に礼拝に参加できる態勢に変えていくことができるかもしれない、などと夫婦で話しては、「自分たちの役割が何であるかをわかりやすく教えてください」と祈りました。
そんなある日、泉バプテスト教会員で旧知のDさんが「教会近くの世田谷公園にミニSLがあって、日曜日に車を教会に置いて遊びに行けるわよ」と教えてくださいました。久しぶりにDさんに会えるのも楽しみだし、鉄道好きな子どもたちをミニSLに乗せてあげられるということで一度だけのつもりで、公園遊びができる晴天の日を選んで泉バプテスト教会を訪ねました。その日は夫の誕生日でした。礼拝でお祈りをして賛美歌を歌いメッセージを聞き礼拝が終わった時の感覚を忘れられません。久しぶりに礼拝に参加した感じがしたのです。それまで約4か月の間あちこちの教会で礼拝に出席したのに、私は「教会を探すために礼拝に行っていた自分」に気づきました。そして、また来週ここに戻ってきて礼拝を捧げたいという思いが湧きました。それらは私にとって、神様からとてもわかりやすく示されたと思える出来事でした。そして夫も同時に「来週も泉バプテスト教会に行こう」と言ってきました。
子どものためにどこがいいか、夫のためにどこがいいか、そのように観点を迷ってきた教会探しだったはずなのに、備えられていた泉バプテスト教会は、子どもも礼拝に出られる教会であり、規模の小ささもあって夫も私も何か役に立つことができるかもしれないと思った教会であり、そして私自身が今通いたいと思った教会でした。
私は小さい頃から教会に通い信仰生活の年月は長いですが、とてもこの世の誘惑に弱いです。この世の事に囚われすぎて、神様に全てを委ねることができないでいることを認識しつつ、変われない自分がいます。そんな私のためにさえもイエス様は十字架にかかり復活されました。そして今も私を愛してくださっています。
「私たちの主、救い主イエスキリストの恵みと知識において成長しなさい。」ペトロの手紙2・3章18節
3人の子どもたちがイエス様の恵みと知識において成長していくように泉教会のみなさんに祈っていただきたいです。また、ありのままの姿で良いと許してくださっている神様に感謝しつつ、私自身もそれに応えてイエスキリストの恵みと知識において成長していくことができるようにと祈ります。
この泉バプテスト教会に転入会し新たな信仰生活を送って行きたいと願っています。よろしくお願いいたします。
2013年10月27日