天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事行為を行ふ。(中略)
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
7条、天皇の国事行為の続きです。そしてとうとう国事行為の終わりです。
8号の外交文書の認証は形式的・儀式的なものです。天皇の国事行為にお馴染みの言い回しです。実質的な外交関係の処理・条約の締結は内閣の仕事であり(73条参照)、天皇に実務の権限はありません。
9号は「国事行為」と「公的行為」の線引きから大いに問題がある部分です。外国から来たお客さんを接待することは「接受」に当たる国事行為でしょう。しかし、天皇や皇族が何らかの政治的意図を持って/持たされて外国へ赴き、賓客として遇されるということはどうでしょうか。接受の範囲を超えています。いわゆる「皇室外交」は明文の国事行為の範囲を逸脱しています。東京オリンピック誘致の際に皇族がプレゼンテーションをしたことの是非が問われたのは、憲法遵守義務が天皇らにあるからです(99条参照)。
そこで「公的行為」という解釈の登場です。国事行為として明文で列挙されていなくても、天皇の仕事には「公的行為」として認めるべきものがあるという考え方です。皇室外交も公的行為にあたるので合憲というわけです。公的行為という考えを持ち出すことは法的安定性に欠くという弱点があります。一種の行政裁量を広く認めるということですから、この場合、天皇の国事行為一切に責任を負う内閣に対する厳しい監視の目が必要となります。
10号は、国事行為に当たる「儀式」が何であるのかという線引きが議論になる条文です。日本国憲法は明治憲法で保障されていた政教一致の国家神道体制に対する反省から生まれました。だから厳格な政教分離原則を明記しています(20条・89条参照)。ここで言う「儀式」が天皇の信奉する神道に基づくものである時に、また、そこに公金が支出される時に、政教分離原則に抵触します。国事行為に明記された認証のための儀式(認証式)などは問題ありません。
課題が残る典型例は「即位の礼」や、即位の礼と地続きの「大嘗祭」の場合です。政府解釈は、国事行為を即位の礼という儀式全体の中の「正殿の儀(就任式)」・「祝賀御列の儀(オープンカーでのパレード)」・「饗宴の儀(来賓とのパーティー)」に限るというものでした。というのも、それ以外の要素には神道儀式がたっぷりと詰まっていたからです。苦しい説明を施しても、何とか即位の礼を一部だけでも国事行為に格上げしたいという、内閣の意図が見えます。
さらに大嘗祭。これは天皇の代替わりのクライマックスにあたる神道儀礼です。大嘗祭だけを切り離す合理的理由はありません。しかし皇祖皇霊と新天皇が交わるというあまりにも宗教的な内容を持つために、公的行為という説明すらできませんでした。代わって天皇の私的行為として行ったのでした。
天皇の代替わりの儀式は、国事行為・公的行為・私的行為をないまぜにした上で、ご都合主義的に言い訳を切り貼りして強引に「合憲」と強弁した代物です。天皇制は政教分離原則にとってのリスクです。