1月21日の「聖書のいづみ」ではマタイによる福音書5章31-32節を学びました。「否定命題シリーズ」の続き。今回は申命記24:1-4についてのイエスによる解釈です。
申命記24:1-4は、①夫の判断で一方的に離婚が可能であるということと、②自己の離縁した女性との再婚を禁じる法律です。憲法24条の「両性の平等」が無い時代のこと、性差別を前提とした不平等な規定です。イエスの父親ヨセフが、妻マリアを自己の判断で離婚できると考えたのは、この規定に根拠があります。
マタイ5:31-32は、①夫からの離婚を条件付きで認め、②離婚経験者の女性との結婚を禁止します。申命記を微妙にずらしていることが分かります。①は夫の権限を狭めています。②女性の不利益を広げています。離婚経験者はすべての男性と結婚できなくなるからです。ルカ16:18も参照すると、①はマタイの付け加えであり、②はマタイ・ルカが共有している言い伝えと考えられます。
この件に関する元来のイエスの解釈はマルコ10:11-12に保存されています。最古の福音書だからです。そこには「夫側からも妻側からも離縁をしてはいけない」と記されています。その趣旨は、両性の平等にあったと推測します。ただし、もし平等にするのなら、他の可能性も考慮に入れることができます。それは、「夫側からも妻側からも離縁ができる」とすることや、「(結婚および)離婚は両性の合意による」とすることです。
今日の箇所は、元来の趣旨よりも後代に対する影響という点で重要な聖句です。なぜならば、結婚を「秘跡(sacrament救いの条件となる行い)」と理解し離婚を禁ずるキリスト教の教理が後に生まれたからです。その教理は暴力をふるう夫・理不尽な支配をし続ける夫から離婚したくてもできない妻たちを、今でも苦しめ続けています。離婚をすると宗教的な意味で救われないと思い込まされているのです。宗教が差別と抑圧の構造を下支えしていると言えます。
この影響史はキリスト教の負の遺産です。誠実な反省に立った上での解釈が求められます。つまり女性側に不利益を及ぼす方向で解釈すべきではありません。そしてわたしたちが離婚経験者に対して持ちがちな差別意識を克服していく努力が必要です。すべての人は個人として尊重されるべきです。JK