1/8今週の一言

 現在の五書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)がどのようにして形成されたのか、確実なことを断言できる人は誰もいません。百家争鳴の中、定説が確立されにくい混沌状況にあります。下記の再構成は個人的見解です。

出発点は前8世紀の預言者ホセアやアモスの警告通りに北王国が滅亡したことにあります。南王国への警告と再生を込めた文書活動が起こります。それが申命記を冒頭に置く歴史書編纂です(申命記・ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記)。この担い手たちを「申命記史家(D集団)」と学問上呼びます。Dは「モーセの言葉である申命記にさえ従えばダビデ王朝は栄える」というものでした。前7世紀。

Dの努力も空しく前587年に南王国も滅ぼされます。この時、D以外にも有力な思想集団が起こります。それが「祭司主義者(P集団)」です。捕囚下の指導者エゼキエルの影響も受け、Pは「モーセ五書」を作ろうと企画します。その意図は「イスラエルの神が敗戦によっても死なない全世界の支配者である」という信仰告白と、絶望の只中にある民に希望を与えることにあります。天地創造から始め、モーセを主人公にし、出エジプトを果たしたイスラエルの民が約束の地を目前にするところまでを記述する物語です。PはDの歴史書のうち申命記だけを必要としました。そしてバビロンで得たさまざまな素材を取り入れることにしました。

主流であるDとPの「合作」にさらに二つの思想集団が割って入ります。それが神をもっぱら「主/ヤハウェ」と呼ぶ「ヤハウィスト(J集団)」と、「エロヒーム」と呼ぶ「エロヒスト(E集団)」です。バビロン捕囚に対する態度が両者は異なります。Jは「イスラエルの破局は神の自由な振る舞いの結果」とします。これにより因果応報の神観からの解放を促します。主は与え・主は奪う方なのです(両義的)。Eは「結果がどうあれ神に徹底して従うべき」と考えます(一義的)。

傍流であるJとEの書き込みに対してPは大量の法律を付加した後に最終的な調整をし、Dは最後まで自分たちの立場の書き込みを続けました。こうして前5世紀ごろまでにバビロンの地でモーセ五書は完成します。エズラという人物がその「一冊の巻物」を約束の地に持ち込んだのでしょう。

四つの思想集団は異なる表現方法によって同じ神を信じ、互いに排除しない形で一つの「本の民」を形成しようとしました。それが新しいイスラエルです。JK