12月21日から聖書のいづみは幼稚園の二学期終了に伴い、冬休みとなりました。年の瀬も迫る頃、幼稚園と教会の一事業年度も三分の二を終えることになります。恵みのうちに守られたことを主に感謝しています。
今年は数年に一度の巡りあわせで12月25日が日曜日になりました。巷では三連休になりますが、牧師業にとっては中々厳しい日程です。ましてやフルボランティアの教会員のみなさんにとってはほとんど修行です。なぜ土曜日の夜に集まり、翌日の朝に集まらなくてはいけないのか。もうちょっと楽にできないのかどうか、はたまた、苦しくても連日集まる価値があるのかどうか、悩ましい限りです。
このことは、七日に一度日曜日に集まることと、12月24日に年一度集まることとどちらが重要なのかという価値判断につながる議論です。個人の思い入れはひとまず置いておくと、一般的にバプテスト教会の信者にとっては七日に一度集まる方が優位に立ちます。二つの理由からそう言えます。
一つ目に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通している一週間に一度礼拝するという伝統からです。自分が必要とする時にお参りする、または一年に一度初詣するという習慣ではないのです。二つ目は、教会暦に対する批判からです。バプテスト教会の第一の特徴は聖書主義の徹底にあります。聖書に書いてあることを優先して、それ以外の伝統を批判していくのです。アドベントを含む教会暦は後の教会が長い年月をかけて作り上げたもので、聖書そのものには記載がありません。例えばイエスが「12月25日に生まれた」とは書いていません。
プロテスタントの一支流であるバプテストの原理から言えば、無理して平日の夜に集まる合理的理由はあまりなさそうです。だからこそ愚痴りたくもなるわけです。「イースターは必ず日曜日にあるのでありがたいなあ」とのぼやき、実感です。
しかしどうでしょうか。上記のような建前は、実に野暮な言い草ではなかろうかとも思えます。信者であれ非信者であれ、12月24日に何となく浮かれた気分になって、お祝いモードになっていくことそのものは目出度い現象とも言えます。クリスマスぐらい誰かにプレゼントをあげようとか、楽しいパーティーを開こうとか、そういえばイエスの誕生日だっけとか、教会に行っても良いかなと思ってもらえるのは有難いことではないでしょうか。人間は感情の動物です。感情を無視したり逆なでしたりする野暮な理屈は、時に有害ですらあります。
きちんとした理屈を噛み砕いて人々の感情にまで届くように加工した言葉こそ求められています。「神が人となった」とはそういうコトバです。JK