2/8の「聖書のいづみ」では出エジプト記34章8-10節を学びました。シナイ契約のやり直し場面の続き、主(ヤハウェ)という名前を持つ神とモーセの対話が続きます。
この交渉は33章12-17節で既に行われた対話の続編でもあります。そこでも、「好意を示して欲しい」「イスラエルはあなたの民だ」「あなたが共に行って欲しい」と、モーセは神に訴えていました。主(ヤハウェ)はこの要求に対して、「好意を示そう」「わたしの顔が共に行く」と答えています。
この言質を取っているモーセは、神からの好意を既に得ていると確信しています(9節)。また、神が民と共に旅することを、さらに具体的にすべく「わたしたちの真ん中に」という条件を付けます。顔であれ栄光であれ、神の後ろ姿しか見ることができない制約が、モーセには気になったのでしょう(33章18-23節)。そして神からの確約がなかった点にモーセは踏み込みます。「わたしたちをあなたの所有としてください」。主は、常にイスラエルを「モーセの民」とみなし、自分の民と言いたがらないことを(33章1節)、モーセは突いたのです。
この交渉のためにモーセはいくつかの仕掛けをしています。まず、主(ヤハウェ)を「主人(アドナイ)」と呼んで、必要以上に恭順の意を示します(新共同訳聖書では訳し分けていません)。8-9節の一連の慌ただしい行為も、恭順の表現です。「モーセは急ぎ、脳天を地に擦り付け、ひれ伏し、言った」のでした。
もう一つの仕掛けは、内容面に関するものです。7節の主(ヤハウェ)の発言は、「(わたしは)幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す(棚上げするの意)」というものでした。それに対してモーセは、あえて「背き」を抜かして、「罪と過ちを赦してください(神からの赦免の意)」と願います。民の背きについては罰してくれて構わないと引き下がっています(32章)。この点で引き下がりながら、「わたしたちを所有してください」と願うのです。
主は、このモーセの願いと求めを聞いて、「わたしは契約を結びつつある(-ing)」、「わたしがあなたと共に行っている(-ing)主の業は恐れられているものである(-ing)」と、現在進行形を用いて語ります。いま再締結されつつあるこの契約が、主の創出した出来事であり、かつ、主とモーセの協同の出来事であることを、主は認めました。こうして、モーセの願いである、「主ご自身がイスラエルを自分の民であると認めること」が、曖昧な表現ではあるけれども成就しました。
聖書の神は対話を喜ぶ神です。JK