12/6の「聖書のいづみ」は、サムエル記上3章15-18節を学びました。サムエルが神の啓示を受けて、「祭司エリ家が将来没落する」という言葉を預かった次の朝の出来事です。サムエルは、ある意味で当然のことですが、親代わりに育ててくれている師匠エリに、神の意思を伝えることを恐れました。
そのサムエルをエリは呼びます。エリはサムエルに預言者の仕事がどのようなものであるかを教えようとしています。2章27-36節で、すでに「神の人(預言者の古い呼称)」はエリに、エリ家没落の預言をしています。エリは、サムエルが告げられた内容を察知しているのです。だから、孝行息子のサムエルが自らの意思では預言をエリに伝えようとしないだろうということも分かっています。しかし、それでは預言者にはなれません。預言者は自分の民にとって不利益になる言葉も歯に衣着せずに語らなければならないからです。それが真正に神の啓示であるならば。
「お前に何が語られたのか。わたしに隠してはいけない。お前に語られた言葉を一つでも隠すなら、神が幾重にもお前を罰してくださるように」(17節)。ここで「罰してくださるように」と訳されている言葉の直訳は、「そのように行なってくださるように」です。「そのように」とは、「2章27-36節および3章11-14節に記されている内容と同様に」という意味でしょう。サムエルが真実を隠す場合、エリ家に対する罪/罰がサムエルに下るということです。
ことここに至ってサムエルはエリに一部始終を話します(18節)。厳しい言葉を聞いた後、その応答として、祭司エリは含蓄のある言葉を語ります。直訳すると次のような言葉です。「彼はヤハウェ。彼が、彼の前で最善を行うように」。ただし、底本は「彼の目の中に」としているところを、「彼の前で」という死海写本4QSamaとギリシャ語訳聖書の読みを採っています。
ここにはエリの信仰告白があります。「彼はヤハウェ」という言い方は、「ヤハウェこそ神」(列王記下18章39節)や、「イエスは主」(ローマの信徒への手紙10章9節)という最古最短の信仰告白の原型とも言えます。歴史の主が誰であるのかを告白することから、信徒としての歩みが始まります。それは、神の前で繰り広げられる人間の歴史に、神の考える最善が行われるようにと祈る生活です。エリやエリ家にとって利益になることや、サムエルにとって満足のいくことは、必ずしも神の前の最善ではありえないのです。
「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」。 JK