5月31日の「聖書のいづみ」からサムエル記を少しずつ学んでいきます。
サムエル記を取り上げる問題意識や理由は次の通りです。一つは現在の社会状況、政治状況についての示唆を得るためです。サムエル記はイスラエル社会に馴染みのなかった王制の導入について詳しく記す歴史書です。そしてその続編である列王記において王制が破たんすることをも記しています。ちなみにギリシャ語訳聖書はサムエル記と列王記を一体のものとして扱っています。両者合わせて「王の歴史」です。王制の導入は民の「わたしたちに王をください」という要求に端を発します(サムエル記上8章5節)。現在、ポピュリズムが世界中で台頭しています。独裁者はどのようにして生まれ滅びるのかを、聖書に基づいて探りたいと思います。
もう一つの理由は学問的興味・関心です。そもそもの米国留学目的が、聖書語学を磨き直し本文批評の腕を上げること、「聖なる高台」(サムエル記上10章5節、列王記上11章7節ほか)についての研究などにあったので、サムエル記は絶好の研究対象なのです。サムエル記のヘブライ語本文は不安定です。死海写本や諸古代語訳の助けを借りて翻訳がされている箇所も多いのです。様々な異読も含めて聖書に何が書いてあるのか、それをどう読むべきかについて考えていきます。
サムエル記の主人公は三人の人物です。サムエル、サウル、ダビデです。預言者・祭司・士師サムエルは、サウルとダビデという二人の王を任命することになります。
1章は、サムエルの誕生にまつわる物語。今回は1-8節までを学びました。サムエルの父親はエルカナ(神は得た/妬む神の意)、母親はハンナ(恵みの意)という名前です。エルカナにはもう一人の妻ペニナ(珊瑚の意)がいました(1-2節)。エルカナ・ハンナ間に子どもが与えられないので、ペニナという女性とも結婚したのでしょう。男子直系の子孫を重視する家父長制に基づき一夫多妻制が認められていました。ペニナは複数の息子たち、娘たちを産んでいたようです(4節)。
エルカナがハンナをより強く愛したことはペニナを苛立たせます。ペニナはハンナに辛く当たり苛立たせます。特にシロの神殿に毎年恒例の礼拝を捧げる際に、両者の葛藤が顕在化します。犠牲祭儀の後に、子どもたちへの分け前が食物として振る舞われ、会食が行われるからです。惨めな思いを強要させられるハンナは飲食を拒否し泣きます(7節)。命の主への礼拝の現場で起こっている悲劇です。
夫エルカナはハンナを慰めることに失敗します。「わたしの存在は十人の息子に優る」との発言は(8節)、問題の根をハンナの心情にすりかえる発言であり、二次被害/加害とも取れます。女性たちを分断させている根は性差別です。弱い者がさらに弱い者を叩くという仕組みを改める必要があります。JK