「余暇の神学」は、教会内に向けては人々を休ませることを主眼とします。礼拝によって休ませ、礼拝以外のことがらから休ませるのです。それは教会をとりまく世界が人々を忙しくさせているという理由からの要請でもありました。
だから「余暇の神学」は、教会の外に向けては長時間労働に対する憤りを発信します。Work and Life Balanceと呼ばれる、労働と生活の適正なバランスが必要です。さらに、労働と生活に加えて、政治(自治)・芸術・宗教に用いるための時間が必要です。人はパンだけで生きるのではないからです。残業代なしでは生活が苦しい人々や、奴隷的拘束に苦しむ人々、短時間労働を求める人々と連帯する祈りと行動へと、「余暇の神学」は導きます。わたしたちが礼拝で得る休みを、世の終わりに至るまで、世界も欲しているからです。
「余暇の神学」がきちんと対話しなくてはいけない、最も重要なバプテスト教会の遺産は「自治」です。各個教会の自由と自治に価値があるという伝統を打ち立てたことに、「民主主義の先駆者」としてのバプテストの歴史的意義があります。各個教会の運営に公権力や、他の教会・教役者集団が介入することを決然と拒むことは、自分たちのことを自分たちで決めて治めることの裏返しです。会衆主義です。
「民主主義って何だ」という問いが、数年前路上の政治的デモから発せられました。21世紀の日本社会にとっても重要な訴えを、「各個教会の自治」と「会衆主義」は持っています。民主的な内部運営を心がけなくては、時代の証人としての務めは果たせないでしょう。国会や地方議会よりも良質の自治が、「民主主義の幼稚園」たるバプテスト教会に求められます。
その一方で、民主的運営を心がければ心がけるほど、手続き量は多くなります。意思決定機関を増やせば、より多くの人が意思決定に関われるので、より民主的になります。しかし自治のために日曜日の午後が忙しくなります。ジレンマです。
教会の自治はあくまでも「初等教育」なのだと位置づけたらどうでしょうか。それぞれの教会員が、世に出て行って「公的な自治」を担う市民となる準備・練習・遊びとして、教会運営を担うということです。わたしたちはバプテスト教会で、平等原理・少数意見の尊重・意見表明と話し合いの仕方・意思決定の仕方について、楽しく学びます。政治(自治)に携わる時間と労力は、上述のように社会においても余暇の範囲なのですから、教会においてはさらに圧縮すべきです。少なくとも楽しみながら担えるという範囲にまで、楽な自治にする必要があります。そのような自治ならば積極的に世界に紹介したくなるものです。(続く)JK