10/4の「聖書のいづみ」は、サムエル記上2章18-21節を学びました。
神殿城下町シロの祭司エリの従者サムエル。母ハンナは主に奉げた息子のために、年ごとの祭の際に上着を献上します。主はハンナを訪れ、ハンナはさらに三人の息子と二人の娘を授かることとなりました。
この物語には前史があります。士師記19-21章には、およそどのように理解して良いのか分からない悲劇が記されています(創世記19章と同根の伝承)。ベツレヘム出身の女性に対するベニヤミン部族の蛮行に対して、ユダ部族を始めとするその他の部族連合が立ち上がり、イスラエル史上初の部族間紛争/内戦が起こったというのです。徹底的に叩かれ、人口が極度に減ったベニヤミン部族は、シロの町の女性たちを、年ごとの祭の際に「略奪婚」目的で誘拐することにしました。それによって部族の滅亡を避けたのです。
シロの年ごとの祭についての言及は(1章3節、2章19節)、この悲劇を思い起こさせます。特に元来のユダヤ教配列によれば、士師記の直後にサムエル記が続くので、読者にとっては連続した物語なのです。シロの女性たちはベニヤミン部族のルーツの一部ですが、町全体には「反ベニヤミン感情」があったことでしょう。
ハンナが「願って得た」(20節。動詞シャアル)息子サムエルは、イスラエルの初代王サウルを任命した人物です。サウル、厳密に発音すればシャウルは、動詞シャアルの受動分詞形であり、「尋ね求められている者」という意味を持つ名前です。イスラエルの人々は他の国々と同じように中央集権的な徴兵制を持つ王を尋ね求めました(8章19-20節)。サウルという名は体を表しています。サウルはベニヤミン部族の出身でした(9章1節)。神はシロの祭司サムエルをあえて用いて、ベニヤミンのサウルを選び王としました(10章1節)。全部族が持っていた反ベニヤミン感情を打ち消すために、必要な措置だったからでしょう。民の求めを神は逆用します。
シロにおけるハンナ=サムエル物語は、士師記の記すベニヤミン部族対ユダ部族の内戦物語と、サムエル=サウル王物語との橋渡しとなっています。さらに言えば、ベニヤミン対ユダの内戦物語は、サムエル=サウル物語を挟んで、サウル王朝対ダビデ王朝(ユダ部族出身)の南北朝対立の前触れともなっています。
こうして神の民の歴史は、蛇行しながら前に進みます。それを貫く真理は、神は最悪の状況から「善いもの」を生み出す方であるということです。混沌の中に、実に混沌の中にのみ「光」が差し込みます。十字架と黄泉降りが無ければ復活はありません。 JK