あけましておめでとうございます。今年の干支である亥年にちなんで、聖書の中の猪について考えてみましょう。新共同訳聖書を調べてみました。旧約聖書において「猪」という言葉は三回登場します(レビ記11章7節、申命記14章8節、詩編80編14節)。ヘブライ語ハジルの訳語です。ただし、同じハジルを「豚」と訳す場合も四回あります(箴言11章22節、イザヤ書65章4節、同66章3・17節)。
新約聖書において「猪」は登場しません。十二回登場するギリシャ語コイロスは全て「豚」と訳されています(マタイ福音書7章6節、同8章30・31・32節、マルコ福音書5章11・12・13・16節、ルカ福音書8章32・33節、同15章15・16節)。一回だけのギリシャ語ヒュスも「豚」という翻訳です(ペトロの手紙二2章22節)。
これらの猪/豚の用法を鳥瞰すると、概ね否定的な意味であることが見て取れます。亥年生まれの人、ごめんなさい。そのきっかけとなっているのが旧約律法です。ユダヤ人にとって正典の中の正典は「モーセ五書」(上記レビ記・申命記もその一部)。その中で二度も名指しで「ハジルは宗教的な意味で汚れた動物である」と規定されていることが、猪/豚に対する蔑視の根拠です。
この規定の背景には、イスラエルの土着化の課題があったと言われます。周辺諸民族が猪/豚を崇拝したり、犠牲祭儀に用いたり、その後祭司がその肉を食べたりしていたので、異文化との差異化を図るためだったというのです。この推測は上記詩編80編14節に支えられます。ここでイスラエルはぶどうの木に喩えられ、それを食い荒らす「森の猪」は周辺諸民族に喩えられています。また上記イザヤ書65-66章も、この推測を補強しています。
猪/豚が蔑まれた動物であるので、釣り合わないもの・皮肉な事象の喩えとして猪/豚が用いられます。豚は、知性が欠けた人間の比喩として、格言に用いられています(箴言11章22節、ペトロの手紙二2章22節)。「豚に真珠」の語源も同じ流れにあるでしょう(マタイ福音書7章6節)。
夥しい数の悪霊が豚に憑依する物語や(マルコ福音書5章とその並行記事)、放蕩息子の譬え話における豚についての言及も(ルカ福音書15章)、猪/豚に対する蔑視を背景に持っています。わたしたちはこのような偏見を持ち続けるべきでしょうか。
動物についての浄/不浄規定は、聖書内部における大きな矛盾です。神がすべての動物を創り、「良し」と判定しているからです(創世記1章)。ただし、この矛盾は聖書内部で乗り越えられてもいます。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはいけない」(使徒言行録10章15節)。JK