1/10の聖書のいづみでは、サムエル記上4章1-3節を学びました。イスラエルとペリシテの戦争記事です。戦争や現代のパレスチナ問題にも思いを馳せることのできる聖句です。
ペリシテ人Pelishtimはイスラエルと競合関係にある民族です。イスラエルが「約束の地」カナン(パレスチナ地域)に定着したのとちょうど同じ頃、地中海からそこに移住してきました。ペリシテ人は「海の民」と呼ばれる一群の一つです。ちなみに英語のパレスチナPalestineの語源は、ヘブライ語のペリシテにあります。イスラエルにとっての約束の地は、英語では「ペリシテ人の地」を意味します。
地中海沿いのユダ部族に隣接する地域に、ペリシテ人は五つの都市国家を建設しました。アシュドド、ガザ、アシュケロン、ガト、エクロンです(6章17節)。これらの五都市は同盟を結び連携しています。そしてイスラエルとの軍事的緊張が常にありました。
1節は、イスラエルがペリシテを侵略したと記しています。それに対して自衛戦争としてペリシテが対抗したとします。ヘブライ語本文は、新共同訳聖書のとおりです。ところがギリシャ語訳聖書は、この順番を逆さまにしています。まずペリシテがイスラエルを侵略し、それに対してイスラエルが自衛したという順番を採ります。おそらくヘブライ語本文の順番が元来のものでしょう。イスラエルを弁護しようとした写本家が、「ペリシテの侵略から戦争は始まった」と歴史を修正しようとしたのです。「すべての侵略戦争は自衛の名の下に始まる」(吉田茂)。
新共同訳聖書は曖昧にしていますが、イスラエルを撃った(ヘブライ語動詞ナガフ)のは、ヤハウェ神です。2節は「イスラエルはペリシテの前で撃たれた(ナガフの受身)」、3節は「ヤハウェはペリシテの前でわれわれを撃った(ナガフ)」が、直訳です。唯一ペリシテを主語にしているのは、2節後半の「彼ら(ペリシテ)は約四千人を打った(ナーカー)」であり、そこだけは別の動詞を用いています。
物語記者は、ペリシテがイスラエルに戦闘で勝ち、約四千人を打ち殺したという客観事実を、自らの神学的主張でも言い表しています。「敗戦は、神自身がおのれの民を撃った結果だった」というのです。ペリシテはそのために用いられた道具に過ぎません。このような「自虐史観」は、バビロン捕囚という民族滅亡の破局に定着しました。イスラエルの信じる神は、おのれの民を、その民の敵を用いて裁くことができます。全世界を創られた神は、世界の歴史の中で自由に歩まれます。
わたしたちは1945年の破局をどのように理解すべきでしょうか。 JK