2018/01/17今週の一言

1/17の聖書のいづみでは、サムエル記上449節を学びました。ペリシテ侵略戦争の続きです。今回の聖句は、戦争を遂行し続ける推進力が何であるのかを描いています。

 先週の箇所で大敗を喫したイスラエルは、シロから「万軍の主の契約の箱」を担ぎ出します(4節)。この箱の上には、ヤハウェという名前の神が座っていると信じられていました。イスラエルが荒野を旅している時には、箱は至聖所と呼ばれる天幕に安置され、祭司集団によって持ち運ばれました(出エジプト記25章以下)。約束の地に入って後、ベテル(神の家の意)という町に一時箱はあったようです(士師記2227節)。サムエル記の時点で箱はシロの神殿に安置されていました。

 戦争に箱が担ぎ出されたことは、ヤハウェという神が「戦争の神」として拝まれていた過去を証言しています。それは、エリコの町を攻略する時にも、箱が用いられていたことからも明らかです(ヨシュア記66節)。箱がイスラエル軍の中にある時、イスラエルは必ず勝つと信じられていました。「神軍」となるからです。この類の政教一致は、戦争を推進させる力となります。ヤスクニ思想と通じます。

 ペリシテ軍はイスラエル軍の士気の高揚に恐怖を感じます(5-7節)。ペリシテが恐れるという表現は聖書中ここにしかありません。恐怖は戦争にとって負の要因です。兵士から恐怖を除く操作が戦争を遂行させる力となります。だから現代に至るまで人類はなるべく遠くで人を大量に殺す兵器の開発に勤しんでいます。

 ペリシテ軍はイスラエル軍を「ヘブライ人」と呼びます(69節)。聖書の中では「ヘブライ人」という呼称は、主に非イスラエル人から発せられる蔑称です(渡り者の意)。戦争の前提には相手への差別・軽蔑があります。そうでなくて殺人はできません。「鬼畜米英」等と罵ることで恐怖を克服しようとするものです。

 ペリシテ軍はこの危機にあって、「男になれ」と呼びかけ合います。新共同訳「男らしくあれ」は、良い意訳です(9節)。戦争という愚行を批判することとの関係で、「男らしさ」もまた批判されうるからです。つまりジェンダー視点から戦争を批判すべきです。長男を中心とする家父長制度のもとでは、家長を筆頭に男性には「男らしさ」が求められます。それは「心身ともに強いこと」であったり、「指導力があること」や、「攻撃的/能動的/積極的」な性質であったりします。これらもまた戦争を実施する兵士に求められています。「らしさ」も戦争に悪用されます。軍隊に象徴される縦社会は、「男らしくない男性たち」にとって非常に生きづらい社会です。 JK