2018/02/28今週の一言

2/28の聖書のいづみでは、サムエル記上515節を学びました。

サムエル記全体の本筋は、ダビデを主人公とする物語です。そして主要な脇役に、サムエルとサウルがいます。この三人が、サムエル記の三大人物です。サムエル・サウル・ダビデは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のような順番の最高権力者です。

この本筋の脇道として、さまざまな物語が付随しています。「祭司エリ一族の物語」も脇道の一つです。そして、「神の箱をめぐる物語」も重要な脇道です。4章から登場していた神の箱の数奇な運命は、どのような決着を見るのでしょうか。読者はサムエル記下6章まで顛末を待たなくてはいけません。

神の箱の上には神が座っていると考えられていました。神の箱は、神そのものではないけれども、神がそこに臨在していることを象徴しています。その大切な箱が、あろうことかイスラエルの敗戦によって、神の箱がアシュドドという都市国家のダゴン神殿に運び入れられてしまったというのです(1-2節)。アシュドドはペリシテ人の建てた五つの町のうちの一つです。ペリシテ人たちは戦利品の一つとして、ダゴン神像の前に神の箱を展示しました。ペリシテの神の前に、イスラエルの神が屈服しているということを示したかったのでしょう。

ところが不思議なことが起こります。ダゴン神像が神の箱の前にうつ伏せに倒れていたというのです(3節)。これではダゴン神がヤハウェ神にひれ伏しているように見えてしまいます。アシュドドの人々は、ダゴン神像を元の場所に戻します。しかし、次の日にも倒れ、しかも首と両手が切られていたというのです(4節)。首が切り離されているということは、完全な敗北を象徴します。これではダゴン神がヤハウェ神に負けたかのように見えてしまいます。実際の戦争に勝ったのはペリシテ人であるのにもかかわらず。

この不思議な出来事は、ペリシテ軍に対するイスラエル軍の敗戦が、ダゴン神に対するヤハウェ神の敗北ではないことを示します。イスラエルの侵略戦争に賛成しないヤハウェ神が、イスラエルの敗戦をもたらしたということです。後のバビロン捕囚と同じ構造がここにあります。聖書の神は、ご自分の民を裁くことができる神です。このことは十字架の出来事とも重なる構造です。イスラエルという神の子らを裁いた神は、神の子イエスを十字架で裁きました。十字架の出来事をキリスト信徒は、侵略戦争をしてしまうような罪人であるわたしたちの身代わりの死と信じています。この信仰によって復活の永遠の命をいただくことができます。JK