2017年11月に行われた日本バプテスト連盟総会には、個人的に感慨深い議案が一つありました。それは那珂川キリスト教会の「連盟加盟承認の件」です。
日本バプテスト連盟に加盟するためには、ある教会の「伝道所(支部のようなもの)」であった団体が、自主独立の自立した「教会」とならなくてはいけません。伝道所から教会となることを「教会組織」と呼びます。1988年8月7日に始まった那珂川伝道所は、29年後の2017年6月18日に教会組織を果たし、那珂川教会となり、日本バプテスト連盟に加盟申請をし、無事承認されたのです。
1958年12月7日に開設された下馬伝道所が、翌1959年11月29日には早くも泉教会として教会組織を遂げたことに比べると、那珂川教会の29年は、いかにも苦労の多い自立への長い道のりです。
わたしは博多教会の那珂川伝道所開所の日曜日に、「奉仕神学生」としてその場にいました。厳密には四日前の8月3日の水曜日祈祷会から、那珂川伝道所の活動は始まっていました。引っ越しを終えた夜、段ボール箱だらけの借家の牧師館兼会堂で、松永正俊牧師夫妻と、二人の小さな子どもたちと、5人で祈りを捧げた情景を今でも鮮やかに思い出します。
西南学院大学神学部一年生だった19歳のわたしは、誰も知り合いのいない中、自分で奉仕・研修をする教会を選びました。教会が生み出される過程に興味を持っていたので、那珂川町に伝道所を開設する計画を持っていた博多教会に4月から通い、8月からは那珂川伝道所へと松永牧師と共に派遣されたのでした。以来、二年間毎週水曜日の夜の祈祷会と、日曜日の礼拝に通うことになりました。土曜日は前泊だったので、牧師家族には多大な迷惑をかけ、本当にお世話になりました。
わたしも牧師家庭に育った一人です。「牧師の子どもには自分の牧師が居ない」と言われます。同じ教会に属していれば、正にその通りです。自分で教会を探して選び、自分の牧師を得ることは、牧師の子どもにこそ必要です。他人なればこそ素直に助言・忠告にも耳を傾けることができるというものです。
松永牧師が常々言っておられたのは、「城倉君は若いうちに神学部に入学できたのだから聖書語学や聖書学をしっかり学べ」ということでした。サラリーマンを経験して家族を持ってからの神学部の勉強は大変だったようです。また、「自分は保守的な信仰だが、城倉君は自由になれ。聖書解釈の幅を広げ、社会的な視野も持て」とも言われました。多様な立場を認める牧師でした(現臼杵教会牧師)。
連盟結成記念日に連盟総会の一こまと、30年前を、ふと思い出しました。JK