5/23の聖書のいづみは、サムエル記上7章1-4節を学びました。ペリシテ人との境にあるベト・シェメシュの住民は、そこから東北方面の内陸都市キルヤト・エアリムの住民に、ヤハウェの箱を取りに来て欲しいと依頼します。キルヤト・エアリムは、古くから栄えた門前町です。土着の信仰であるバアルを主神とする多神教、豊穣祭儀が盛んでした。イスラエルの流入に伴って、ヤハウェ信仰が紹介され、この時期はおそらく両者が混在していたと推測されます。
キルヤト・エアリムの住民は、アビナダブという人の「家」にヤハウェの箱を運び入れました。士師記17章5節を参考にすると、この「家」はアビナダブ個人が所有していた「神の家」だったのかもしれません。ヤハウェの箱が入ることで、そこは「ヤハウェの家(新共同訳聖書では「神殿」と翻訳されている)」となります。アビナダブは自分の息子エルアザルを祭司に任命します。この家族もレビ人であった可能性があります。
なぜベト・シェメシュの人々は、ヤハウェの箱を元々の所在地シロの「ヤハウェの家(神殿)」に戻さなかったのでしょうか。考古学の発掘によれば、紀元前11世紀という、この時期にペリシテ軍がシロの町を神殿もろとも徹底的に破壊していることが立証されています。シロの祭司だったサムエルの活動拠点がシロではないことも証左となります。
バビロン捕囚を預言したエレミヤは、シロの破壊を引用します(エレミヤ書7章12―15節)。イスラエルの人々にとって周知の歴史事実を、エレミヤは「外国軍を使った神の、ご自分の民への裁き」と解釈しました。そして、同じことがバビロニア軍によって南ユダ王国に起こると予告しました。事実、紀元前6世紀にバビロニア軍は首都エルサレムを神殿もろとも徹底的に破壊したのでした。
エレミヤ書7章11節(「強盗の巣」)を念頭に置きながら、イエスはヘロデの増改築した神殿の崩壊を預言します(マルコ福音書11章17節、同13章1-2節)。そして、紀元後70年、ローマ軍は長い攻囲戦の末に首都エルサレムを神殿と共に完全に破壊します。歴史を貫く太い筋を知る必要があります。
キリスト者は荘厳な建物としての礼拝施設にではなく、信者の家に集まって礼拝をしていました。このことは、アビナダブの個人用礼拝施設が「ヤハウェの家」となったことに一脈通じます。イエスの十字架によって、神殿は不要となりました。復活のキリスト自身が神殿となり、聖霊によって信者一人一人が神殿となり、二人・三人の交わりの中に神の国があるからです。 JK