7/18の聖書のいづみでは、サムエル記上8章1-5節を学びました。
8章からはイスラエルに王制が導入された経緯が物語られます。1-7章はその導入だったのです。預言者であり、祭司であり、士師であるサムエルという指導者が鍵を握っています。
サムエルは裁判という方法で、イスラエルを統治しました。自宅はラマにあり、そこからエフライム部族とベニヤミン部族の町々を巡回して政治的指導を人びとにしていました。士師(裁きを行う者)の仕事です。彼は祭司・預言者ではあり続けましたが、年をとったので士師の仕事を二人の息子に継がせました。
二人の息子の名前は、サムエルのヤハウェ神への敬虔さを表しています。「ヨエル(ヤハウェは神)」、「アビヤ(わたしの父はヤハウェ)」。二人は士師職を受け継ぎましたが、その本拠地を南のユダ部族最南端の中心地ベエル・シェバに移します。そしてラマに住むサムエルの知らないところで、賄賂を受け取り不正な裁判を行っていたのでした。
この出来事は、祭司エリと二人の息子の物語を思い起こさせます(2章)。歴史はある意味で繰り返しています。エリも年老い二人の息子に祭司職を譲り、その息子たちが不祥事を起こしたのでした。しかし、歴史の中でまったく同じ出来事は繰り返されません。あの時、エリと二人の息子は同じ日に死に、祭司職はサムエルに譲られることになりました。この時、サムエルと二人の息子は、この件で死ぬことはありませんでした。士師職が制度として廃止され、王制が開始されるのです。歴史は螺旋状に前へと向かっていきます。
螺旋状であるがゆえに、イスラエルの長老の要求は皮肉な内容を含んでいます。彼らはサムエルから息子たちへの「権力の世襲」を批判しているようにも思えます。しかし、彼らの要求は他の「普通の国々」と同じ世襲の王制の導入なのです。
彼らは老いたサムエルの判断の狂いを批判し、サムエルの任命責任を問うているようにも思えます。しかし、彼らはその老いたサムエルに、新王の任命を押し付けてもいます。彼らは、自分たちの思いのままになる「自分たちに属する王」を望みます。しかし、その王が自分たちの上に君臨する存在であることも知っています。
士師たちが裁判によって治める部族の連合体イスラエルから、王が立法・司法・行政権力(常備軍含む)を一手に握って治める中央集権国家イスラエルへ。8章は歴史の大きな転換点であり、過渡期です。このような混乱から、預言者が油を注いで新王を任命する新しい伝統が生まれてきます。 JK