イエスを十字架で殺した最も大きな要因は、ユダヤ人たちの中央政府の意思です。最高法院(サンヘドリン)と呼ばれ、立法・行政・司法すべてを司っていました。ただし、死刑執行という行政処分を行う権限は、ローマ帝国の代官である総督ピラトにありました。最高法院は、「ナザレのイエスはローマ帝国に危害を加える人物ではない」と知っていました。しかしピラトには「イエスはユダヤ人の王であると自称して武装蜂起を企てている」と讒言をし、死刑判決へと導きます。
最高法院の議長はサドカイ派である、世襲の大祭司が就きます。議席の三分の二は、サドカイ派の祭司や貴族たちが占めます。これも世襲です。残りの三分の一がファリサイ派によって占められます。この三分の一部分は、ファリサイ派が数十年かけて獲得したものです。彼らが民衆から人気が高かったので、サドカイ派も無視できなくなり最高法院の議席の一部を譲ったのでした。
民意を受けているという点で、この三分の一は選挙で選ばれた代表に似ています。しかし、決して比例的ではありません。サドカイ派は多くの民衆から支持されていないにも関わらず、三分の二も自動的に得ています(過剰代表)。また、当時ファリサイ派だけではなく、ゼロタイ派(熱心党)、エッセネ派、ヘロデ党(地域政党)なども存在していたのにもかかわらず、一議席も与えられていないからです。
イエスの十字架は、「正当に選挙された代表によって行動」(憲法前文)しない場合に、国家による殺人が起こりやすいことを教えています。民意を適切に議会の分布に反映させる正当な選挙を、民主社会は必要としています。自分たちが政治的代表者を選べない状況下での、自分たちの意思を反映していない統治者の行動については、ただ嘆くのみです(ルカ福音書24章19-20節参照)。
イエス処刑のもう一つの大きな要因は、エルサレム民衆の意思です。ガリラヤからイエスに付き従った者たちの数は知られていません。エルサレム民衆対ガリラヤ民衆の首都エルサレムにおける力関係は、政治的にも数的にも前者が圧倒的に上でしょう。イエスの男性弟子たちが師匠逮捕の際に遁走したことや、女性弟子たちが十字架刑を遠くからしか見ることができなかったことに、彼我の差が現れています。地元で力を持っていたエルサレム住民が「十字架につけよ」と叫び、その民意が直接に裁判官である総督ピラトの判決に影響を与えました。
ここには直接民主制の危険性が示されています。古代も現代も変わらない人間の弱さがあります。群集心理です。特に短い時間しか与えられない場合、わたしたちは情緒的な判断に任せたり、勝ち馬に乗ろうとしたりするものです。JK(続く)