10月3日の「聖書のいづみ」は、サムエル記上8章14-18節を学びました。サムエルがイスラエルの長老たちに王制の危険性について警告をしている場面の続きです。
王は民の田畑を任意に召し上げ、自分の奴隷たち(礼拝者とも訳しうる)に与えます(14節)。このことは「約束の地」(カナン/現在のパレスチナ地域)における習慣・伝統をゆるがせにします。イスラエルの十二部族は、ヤハウェから与えられた土地を同じ部族・氏族・親族で相続し続けなくてはならないからです。
イスラエルの中でも土地を売らざるをえなかったり、債務奴隷(小作人)に没落したりすることはありえます。そのような貧しい人のために、50年に一度は土地を取り戻し、平等な自由民になる救済措置がありました(レビ記25章)。王制はこの救済措置をも阻害し、全ての民が王の恒久的な奴隷になる道です(16-17節)。
その象徴は一律に課された税です(15・17節)。中央集権国家を成立させるために王は徴税し常備軍・行政組織を維持します。
エジプトのファラオ(王)の奴隷/礼拝者だったイスラエルは、そこから脱出して自由の身に解放されたのでした。なぜ逆コースを辿るのか。最後の士師・預言者サムエルは憤ります。
「そしてその日あなたたちは叫ぶ、あなたたちがあなたたちのために選んだ、あなたたちの王の面前より。そしてヤハウェはその日あなたたちに応えない」(18節直訳風私訳)。
十二部族から随意に士師が立てられ統治されていた時代、次のような循環がありました。民が悪を行う→主が民を多民族に渡す→民が主に叫ぶ→主が応えて士師を送る→士師が多民族を追い出す→士師が死ぬ→民が悪を行う(以下くりかえし)。
自分たちが選んだ政治指導者を立てる場合、その王の面前で叫んでもヤハウェの神は応えません。沈黙を守ります。サムエルの警告は、民が「神なき時代」を選んだことを示しています。
現代のわたしたちも選挙によって自分たちで政治指導者を選んでいます(参政権)。また、福祉国家という建前を信頼して税金を納めています(社会権)。国家は個人の自由を守り、個人の幸福の実現のために存在します(自由権)。わたしたちは自分たちにとって有益な政治権力を作りうる仕組みの中にいます。にもかかわらず誰かの奴隷になろうとして、わたしたちは「王を与えよ」と求めることがあります。神は応えません。自治を自力で磨かなくてはいけません。JK