10月10日の「聖書のいづみ」は、サムエル記上8章19-22節を学びました。サムエルの警告(王制に移行する際のリスク)に対するイスラエルの長老たちの反論、それを受けてのヤハウェ神の最終的意思の告知という場面です。
サムエルの声に聞き従わないイスラエルの長老たちの主張は、「普通の国になりたい」という一言にまとめられます。20節冒頭の言葉の直訳は、「そして、わたしたち自身も全ての国々のように成る。」です。「わたしたち自身も」は非常に強調された表現です。そして、「全ての国々のように」という表現は、旧約聖書の中で唯一登場する言い方です。イスラエルは、全ての国々のようではない「変わった国/民」であることが常態だったのです(対等の部族連合体)。
古代西アジア王制国家は、世襲の王が権力を集中して握り、そのような中央集権を成り立たせる行政組織を持っていました。その中に常備軍もありました。王は三権の長(最高裁長官・内閣総理大臣・国会議長)でもあり常備軍の総司令官でもあります。イスラエルの長老たちは、最高裁長官としての王・常備軍の総司令官としての王を明瞭に求めています(20節)。王の権限は裁くこと・戦うことです。
王制導入反対論者のサムエルは、ヤハウェ神に相談します。神の答えはサムエルにとって意外なものでした。「あなたが民の声に聞き従え」というものだったからです(22節)。サムエルには確信がありました。「民は間違っていて、自分は正しい」という思いです。神もそう思っています(7節)。指導者は(あるいは全知全能の神でさえ)、民の意見に対して「間違っている」と思っても、それに聞き従うべき場面があります。バプテスト教会にとって示唆的です。
政治学の領域では、「自由主義」と「民主主義」が健全な綱引きを続ける場合に、良質の牽制と均衡を生み出すと考えられています。この場合の自由主義とは「少数の有識者の判断」、民主主義とは「多数の大衆の意思」という意味です。全体のやる気をなくさせる「エリート支配」を避けるために、どんなに愚かな選択に見えても多数の意見を優先しなくてはいけないのです。ただし、多数意見でさえも踏み越えてはいけない倫理上の問題(人権保障)があるために、少数有識者(裁判官等)の裁量をも認めるべきです。「権力が個人の人権侵害を行わないように、憲法によって縛る」という立憲主義も、自由主義の延長線にあります。
サムエルは民の代表である長老たちの意見を受け容れ、すべての民に直接告げます。「あなたたちは各自その町に行きなさい」(22節)。長老も神も、イスラエル史上初の王の選任を、老サムエル(少数有識者)に委託しました。JK